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「戦地の話を嫌った」田中角栄の事件史外伝『兵隊やくざ――“田中政治の原点”型破り戦場秘話』Part2~政治評論家・小林吉弥

「戦地の話を嫌った」田中角栄の事件史外伝『兵隊やくざ――“田中政治の原点”型破り戦場秘話』Part2~政治評論家・小林吉弥
衆議院議員、自民党、首相=1973(昭和48)年8月5日撮影(C)共同通信社

陸軍盛岡騎兵隊第三旅団第二十四連隊第一中隊に応召された田中角栄二等兵は、昭和14(1939)年4月、日本を離れ満州国・富錦の連隊の駐屯地に入った。21歳である。

外壁を泥で固めた兵舎に入ったその晩、「私物検査」があった。ここで田中は、すでに耳にはしていた新兵にとっては「地獄」とされた旧陸軍内務班の実態を、早くも知ることになるのだった。

田中ら12人の新兵は、旅団長、連隊長、中隊長が険しい顔つきで見守る中、私物をすべて食卓の上に並べさせられた。手持ちの現金もまた、貯金ということで提出させられた。田中は200円ほどのカネを持って家を出たのだが、出発港である広島、あるいはその手前の大阪で遊興し、さらには輸送船の中で仲間の新兵に大盤振る舞いしたことなどで、ほとんど現金は残っていなかった。

一人一人の持ち物は、班長の軍曹がチェックして回った。軍曹は、田中の前に立つと「持ち物はこれだけか。ほかにはないな」と言った。田中はドキリとしながら、空の財布から1枚の女の写真を取り出した。当時、映画『オーケストラの少女』で人気があったディアナ・ダービンという女優の小さなブロマイドであった。軍曹は「これは誰だ」と質してきた。

田中が「私の好きなタイプの女です」と答えると、軍曹はなおも「なぜ、こんな写真を持ってきたのか」と突っ込んできた。田中はやむなく、「将来、こんな女を自分のワイフにしたいと考えております」と答えたのだった。

その直後である。問答無用、軍曹のビンタが田中の頬に飛んできた。田中はのちに自著『私の履歴書』(日本経済新聞社)で、このときの〝感慨〟を次のように記している。

“得意なもの”に「乗馬」と書いてしまい…

「財布のカネは無一文のうえ、自分のワイフにしたい女の写真、ましてやそれがアメリカ女優ときては、帝国軍人の下士官(軍曹)たるもの、怒髪天をつくのがけだし当たり前のことかもしれないと気付いたのは、それからかなり後になってからだった」

問答無用のビンタには、当時ひどいものだとは耳にしていたが、まさかこれほど理不尽であったのかとの思いがうかがわれる。しかし、〝初ビンタ〟の翌日昼すぎ、またビンタをもらう羽目になったのである。

田中は兵舎の入り口そばで、一人しゃがみ込んで軍靴の泥を落としていた。誰かの声がしたので立ち上がると、突然、右の頬にビンタが飛んできたのである。田中が「何をするのかッ」とわめくと、間髪を入れず次に左の頬にまたビンタであった。殴ったのは古兵で、直立不動の田中の前で、次のように言った。

「貴様を殴った理由は、三つある。一つは、軍靴をはかず営内靴のまま営庭に出た。二つは、上官に敬礼をしなかった。三つは、厩舎(馬屋)のそばは禁煙なのに、くわえタバコであった。以上だ」

言われてみれば、しごく当然であった。田中は、すべて規則を破っている。これには、先の自著でこう漏らしている。

「改めてこれは大変なところに来てしまったと思ったが、言われてみればもっともなことばかりであった」

そうした中で、田中が最も屈辱的な思いを味わったのは、2回目のビンタの翌日である。

田中は盛岡騎兵隊に入隊したが、騎兵隊に配属されたのは、じつは入隊直後の「身上調書」にあった〝得意なもの〟との欄に、乗馬と書いたことがきっかけだった。田中は父・角次が競走馬を走らせたりもする牛馬商であったことから、子どもの頃から裸馬にまたがっており、つい「得意」としてしまったのだった。

戦地の話を嫌った田中角栄

これが、いけなかった。待ってましたの〝意地悪〟である。乗馬が得意ならということで、田中に与えられた馬は15歳くらいの古々馬「久秀号」という、なかなか言うことをきかぬクセ馬であった。

「久秀号」にまたがって練兵場の原っぱへ出た田中に、引率の軍曹から声がかかった。横に並べた丸太を前に、「これを跳んでみろッ」との命令である。

ところが、「久秀号」は丸太の前に来ると横に逃げてしまい、そのはずみで田中は落馬、そのうえ馬の手綱を放してしまったのがいけなかった。兵隊にとって、手綱を放すことは戦場に取り残されることを意味する。すなわち、戦闘中のそれは死を意味することでもあった。軍曹が命令した。

「罰だ。貴様は馬の鞍を背負って、駆け足で乗馬隊の後を追えッ」

田中は戦闘中なら死につながっていたことで、軽率な自分を恥ずかしく思う一方、馬の鞍を背負う屈辱感に泣きながら走った。

のちに「政治家田中」の秘書を務めたあと、衆院議員となった石井一・元自治大臣は、こう述懐している。

「田中さんとはずいぶんいろいろな話をしたが、戦地での話はほとんど聞かれなかった。いい思い出がなく、戦争は嫌だの思いがいかに強かったのが分かる。唯一、聞いたのは『荒馬に当たって、馬から放り出された』という話くらいだった。田中さんが、基本的にはハト派政治家だったゆえんだ」(『週刊ポスト』2018年11月9日号)

なるほど、古兵たちの新兵に対するあら探しによる嫌がらせ、ビンタ、すなわち〝ヤキ〟は、その後も連日のように行われた。田中に対するそれも、止むことはなかった。

(本文中敬称略/Part3に続く)

【小林吉弥】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。最新刊に『新・田中角栄名語録』(プレジデント社)がある。

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