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岩下志麻“美しさの中に強さを秘める”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

岩下志麻
岩下志麻 (C)週刊実話Web

1960年代から1970年代前半にかけて、女俠映画ブームが巻き起こった。

その中心になったのが「お竜さん」で親しまれた藤純子の『緋牡丹博徒』シリーズ(東映)で、68年の第1作から72年まで全8本が作られた。この人気シリーズが生まれた背景には、66年からスタートした江波杏子の『女賭博師』シリーズ(大映)があり、こちらは71年までに17作を数えた。

女俠映画の魅力は、女やくざが片肌脱いで壺を振ったり、あるいは札を引いたりする独特のエロティシズムにある。両シリーズが終わった後、女俠映画は自然消滅したかに思えたが、80年代半ばに突如として登場したのが、おなじみ『極道の妻たち』シリーズ(東映)だ。

かつて藤や江波が演じた女やくざとは異なり、特殊な集団の中にあって女性が時代をどう生き抜いていくのかが、原作ノンフィクション(家田荘子)の骨子であった。

毎回、人気の熟女スターをヒロインに起用する点が同シリーズの目玉だったが、86年の1作目で堂々たる姐さんを演じた岩下志麻は、全10作中8作に主演した(十朱幸代と三田佳子が1作ずつ)。

女性映画路線の松竹で育った岩下が、やくざ映画製作に伝統のある東映で成功するかどうか懸念されたが、傑出した役作りと圧倒的な存在感で、そんな不安を払拭した。彼女は壺や札を持つ代わりに、統率力を駆使してやくざ組織を治めていく。岩下のドスの利いたセリフ回しは、人気シリーズの売り物の1つとなった。

岩下の父は俳優の野々村潔、母は新劇女優の山岸美代子。岩下は長女として生まれたが、芸への夢はなく、17歳の頃までは医者への道を志していた。だが、体調のせいで断念。そこへ58年にNHKの青春ドラマ『バス通り裏』の話があり、十朱の友人役として出演。これが女優人生の始まりで、映画は2年後の60年に『乾いた湖』(松竹)でデビュー。松竹には同年から76年まで在籍し、トップ女優として屋台骨を支えた。

貪欲に二兎を追う岩下志麻の麻雀

2005年、松竹の『創業110周年祭』の記念トークショーに登場した岩下は、「松竹では素晴らしい作品や監督に出会えて育てていただいた思い入れがあります。女優王国で、男優さんより女優さんという感じで居心地は最高でした」と語っている。

私が岩下と初めて卓を囲んだのは、カメラマンの早田雄二が主催する麻雀大会だった。この大会には鶴田浩二も参加しており、見事に準優勝に輝いたこともある。その他にも、加茂さくら、中原ひとみ、安部徹、湯川れい子、三木のり平、高橋圭三と、数え上げたらきりがないほど有名人が参加しており、年に2、3回ほど開催される大会だったが、この時に私は岩下と同卓になっていた。

岩下はかなり麻雀が強い。そして、牌さばきの美しさにも驚かされた。打ち筋も鋭い。ことわざに〝二兎を追う者は一兎をも得ず〟という教えがあるが、岩下の麻雀は貪欲に二兎を追っていた。

親の7巡目、迷う場面らしく、岩下は一瞬首をかしげながら打七索と出た。捨て牌からタンヤオとチートイツ狙いとみていた。おそらくイーシャンテンで両役を狙っていると思っていると、次巡でテンパイになったらしく、打四索と出た。

これでテンパイだが、まだ手変わりするのかと見ていると、下家が打六万と出たところで、岩下ロン。タンヤオ、ドラ1で2600点と安かったが、次に二筒を引いてきたら五筒を切り飛ばしてのイーペーコー、ドラ2枚で満貫に変化する手だったのだ。

麻雀のツキについて、岩下は「前から堂々と、強気で押しまくるのが私の打ち方です。それを重ねるうちにツキを呼び込める予感がするからです」と話していた。まさに、堂々と強気で押した麻雀であった。

勝負どころで一歩も引かず

岩下が麻雀を覚えたのは、いわゆる「ロケ麻雀」だった。映画は長期ロケの場合、撮影の待ち時間以外にも、天候の悪化による撮影中止、あるいは夜間の空いた時間など、暇を持て余すことが多い。最初は見学だけのつもりが、次第に仲間に引き込まれて腕を磨いていくのである。

岩下との麻雀に話を戻す。オーラスを迎えた時点では、岩下と私がトップ争いをしており、アガった方がトップになるという局面。

先制したのが南家の私で、8巡目、ドラの八筒を切り飛ばしてリーチと出た。手のうちに索子で一気通貫が出来上がっており、四筒を切ってカン七筒待ちのヤミテンでもよかったのだが、わざとドラの八筒を切り飛ばして、カン五筒待ちにした。リーチに対して岩下が、どんな対応をしてくるかを見たかったのだ。

リーチに臆することなく岩下は、まず打九索、続いてドラそばの九筒。そして、通っていない五万を切ってリーチと出てきた。彼女は北家。ヤミテンでもアガれる手ならば、リーチをかける必要はないのだが、リーチということは出アガリが利かない手なのか。

そう思っていると、南家の私が八索切り、西家が打一索の後、岩下はツモってきた二索をバシッと卓に置いた。

「一発、ピンフ、ツモ。ドラ2枚、ハネ満です」

勝負どころでは一歩も引かず、強気で押す。雀品の美しさの中に強さを秘めた〝志麻姐さん〟は、女性雀士の手本である。

(文中敬称略)

岩下志麻(いわした・しま)
1941(昭和16)年1月3日、東京都生まれ。58年、NHKドラマ『バス通り裏』でデビュー。60年、松竹入社。66年に監督の篠田正浩と結婚し、独立プロダクションを設立する。数々の女優賞を受賞したほか、12年には旭日小綬章を受賞。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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