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船木誠勝「明日からまた、生きるぞ!」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

船木誠勝「明日からまた、生きるぞ!」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊” 
船木誠勝「明日からまた、生きるぞ!」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊” (C)週刊実話Web

「秒殺」が相次いだ1993年の旗揚げ戦で、ファンや業界関係者を驚かせたパンクラスは、既存のプロレス団体とは完全に一線を画していた。

団体の看板でエースの船木誠勝は、なぜそのような茨の道を選んだのか。また、その真意はどこにあったのだろうか――。

93年9月21日、東京ベイNKホール。パンクラス旗揚げ戦はプロレス界に大きな衝撃を与えた。全所属選手が、それまでのプロレスラーとは一味違う体脂肪を削った筋肉質のボディーで登場し、いざ試合が始まれば「起承転結」がなく、それぞれの選手が最短での勝利を目指す。技が極まれば即終了で、全5試合のトータルタイムはわずか13分5秒だった。

UWFを含めたそれまでのプロレスとはまったく異質の内容に、ファンはもとより、関係者もざわめき立たち、ここに「秒殺」という言葉が誕生した。

今となっては「全試合がガチンコ」と言えるのだが、当時において一歩踏み込んだ発言は、既存のプロレスを否定することにもなりかねない。そのため、パンクラスの試合は「完全実力主義」「UWFの最後の扉を開いた」「UWFの到達点」などと評されることになった。

また、これに過敏に反応する格闘競技団体もあった。競技と言うからには、もちろん完全ガチンコなわけだが、そんな一部からは「パンクラスにもフィクストマッチ(事前に勝敗の決められた試合)はある」との声が聞かれたりもした。

そのことの正否は外部からは計り知れない部分があり、なんとも言い難いのだが、当時、格闘系プロレスと格闘競技団体の間には、そのような確執が存在した。中には「パンクラスを含むU系団体を扱う媒体は取材お断り」とするところもあったほどだった。

目指したのはあくまでも自分たちのプロレス

そうした態度をやや神経質なように感じる向きもあろうが、しかし、そうなっても仕方のない部分はあった。この当時の『格闘技通信』や『ゴング格闘技』といった「格闘技」を誌名にうたう専門媒体は、もともとUWF系のプロレスをメインで扱っており、競技を志向する人々がそれを面白く思わないのも当然だったのだ。

ただし、U系からしても言い分はあって、そもそも彼らは「リアルファイト」を志向していたわけではなく、その本意は「プロレスの強さをアピールしたい」ということであった。それをマスコミなどが「真剣勝負」などと持ち上げただけのことで、当人たちにしてもプロレスを真剣にやっていたことには違いがないのだから、そう言われて自ら否定するのもおかしな話である。

パンクラスを立ち上げた船木誠勝にしても、その試合内容については「結果、それをやるしかなかった。(他団体との差異を表現する)方法が見つからなくてやってしまった」「自分のプロレスを突き詰めたら格闘技になってしまった」などと、のちに語っている。

真剣勝負をやりたいから団体を旗揚げしたのではなく、目指したのはあくまでも自分たちのプロレスだったというわけだ。

パンクラス旗揚げ時のキャッチフレーズに「ハイブリッド・レスリング」というものがあり、これがどういう意味なのかについては、当時、ファンの間でも物議を醸した。頭に「ハイ」が付くことから、中にはこれを何か高級なイメージだと受け取る人もいたようだが、正しくは「ハイブリッド」とは「異種の掛け合わせ」「雑種」のことである。

パンクラス時代とはまた別の衝撃が…

パンチならプロボクサー、キックならムエタイ選手、タックルならトップクラスのアマレスラーといったように、格闘競技における一流の技術をそれまでやってきたプロレスに取り込んでいこうというのが、「ハイブリッド・レスリング」の真意であった。

旗揚げから3年、96年9月7日に東京ベイNKホールで行われたキング・オブ・パンクラスのタイトルマッチ。当時の王者はバス・ルッテンで、初代王者のケン・シャムロック、鈴木みのるに続く3代目であったが、挑戦者の船木は団体の看板レスラーでありながら、「完全実力主義」ゆえに、これまで一度も王座に就いていなかった。

この日の試合も、船木はマウントを奪うなど優勢な場面もありながら、最後はルッテンのヒザをモロに食らってしまい、レフェリーはカウントを数えることもなく、顔面を血に染めた船木にKO負けを宣告した。試合時間は17分05秒。

試合に敗れた船木は、ダウン状態のままリング上で治療を受け、立ち上がってマイクを持つと涙ながらに絶叫した。

「俺まだね、やり残したこといっぱいあるんだよ。こんなとこで辞めてられねぇよ。明日から、明日からまた、生きるぞ!」

それから時がたち、2012年に全日本プロレスの三冠王者となり、16年には大仁田厚と爆破デスマッチで闘った船木。その姿にパンクラス時代とはまた別の衝撃を受けたファンも多かろうが、「自分がやりたいプロレスをやる」という意味において、船木の本質は変わっていないのかもしれない。

《文・脇本深八》

船木誠勝
PROFILE●1969年3月13日生まれ。青森県弘前市出身。身長181センチ、体重90キロ。得意技/掌底、チョーク・スリーパー、ハイブリッド・ブラスター、アンクル・ホールド。

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