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レポート『コロナと性風俗』第7回「和歌山・天王新地」~ノンフィクション作家・八木澤高明

(画像)Etienne Hartjes / shutterstock

東京では緊急事態宣言が解除されたが、コロナ感染者は徐々にリバウンドの気配を見せている。果たして、地方の風俗街がどのような様相なのか、気になった。

私は、以前訪ねたことがある和歌山の天王新地に向かった。世間でもほとんど知られていない色街の人々は、どのようにこの逆風をしのいでいるのか。それとも店を閉めてしまったのか。この目で確かめたかった。

今回で天王新地に足を運ぶのは三度目になる。3軒ほどのちょんの間が営業しているにすぎない小さな色街なのだが、私はその風情が気に入り、足を運び続けているのだった。

少しばかり、歴史を語らせてもらうと、天王新地が営業を始めたのは明治時代。和歌山に駐屯する陸軍の兵士たちを慰安するために産声をあげたのだった。

時代は下って昭和13年、現在でいう厚生労働省が発行した『業態者集団地域ニ関スル調』という全国の私娼窟の様子がまとめられた冊子がある。それによると、天王新地には40軒の店があり110人の娼婦がいたという。和歌山県内の私娼窟では最大規模を誇っていた。

それほど大規模な色街が黙認されていたのは、旧日本軍の連隊が駐屯していたからに他ならない。戦前の日本には、旭川の中島遊廓、海軍のいた横須賀の安浦、さらには阿部定が一時期働いていたことで知られる丹波篠山など、連隊のあるところには色街があったのだ。

夕暮れ時になって和歌山に到着し、早速、街に出た。名物の和歌山ラーメンを食べたいと思い、駅近くにあったラーメン屋の暖簾をくぐったが、コロナの影響なのか、店には私以外に客はいなかった。

タクシー運転手からも忘れ去られた存在

ラーメンを食べ終えて、和歌山一の繁華街であるアロチ(新内)も歩いてみた。スナックやバーなどが入ったビルの看板には、空白ばかりが目立つ。客引きの男性によれば、和歌山にも緊急事態宣言が出された昨年の5月ぐらいから閉店する店が後を絶たないそうだ。

タクシーを拾い、天王新地へと向かった。

「まだやっとんのかなぁ。やってないかもしれんな。天王なんて20年ぶりに聞いたな」

行き先を告げた私に、運転手は驚いたような口調で言った。地元出身の運転手だが、大げさではなく、数十年も客にその名を告げられたことはなかったという。

私は、1年半前まではやっていたことを告げた。

「ほおっ、まだやっとったの。あの細い路地いったとこだろ」

運転手は、営業していたことに、ことさら驚いたようだった。すでに天王新地は、水先案内人であるタクシー運転手からも忘れ去られた存在となっていたのだ。

また、このコロナは、タクシーの売り上げにも相当響いているようだった。

「あかんで。いい時の1割ぐらいやな。お客さん乗せるまで、この金曜日に2時間待ちやったからな。タクシーばかりじゃなく、知り合いの飲食店でも閉めてるところばっかりや」

見覚えのある細い路地の入口でタクシーが止まった。

「おおっ、やっとるな。灯りがついとるよ」

運転手が声を上げた。驚いたのは私の方だった。色街で働く人々には失礼だが、営業自粛どころか、客足が遠のいて潰れているだろうとすら思っていたからだ。

遊廓建築の「中村」という店の前まで来て、中をのぞいた。ガラス戸の向こうには、3人の女性の姿があった。

天王新地で働いていれば生活には困らない

私は、最年長の英子と名乗った女性に話を聞いた。彼女は、天王新地で働く前は、先ほど訪れたアロチにあったピンサロで働き、この場所へと流れてきたという。風俗での仕事歴は、20年以上になる。

「和歌山市内で遊べるところは、もうここだけよ。昔は本番できるピンサロもあったんやけどね。実はね、和歌山も緊急事態宣言が出たんで、去年の5月は閉めてたんよ。去年の9月ぐらいから、私1人でやっている時があって、コロナが増えてきた10月からは厳しかったね。今は女の子も3人おるし、こんな状況でもぼちぼちお客さんが戻ってきてくれてるんよ」

この状況でも、英子は毎日店を開けているという。

「朝8時には店に来て、掃除や洗濯、買い物をしたりで、10時には座ってお客さんを待つんよ。雑用係みたいなもん。猫もおるからね。こういう街は猫を大事にするんよ。招き猫だからお客さんを呼んでくれるの。猫の置物をたくさん置いたりしてるんよ」

英子が風俗に入ったきっかけが気になった。

「姉の借金の連帯保証人になっていて、借金を返すために風俗で働きだしたんよ。当時は景気もよかったんで、全部借金は返したけど、次に父親の借金が発覚して、それも私が。その借金もやっと返し終えて、これからは自分のために貯めようと思ったら、今回のコロナでしょう。そんでも、昔よりは楽になった。私は残すことはせんでもいいのでね。一緒に暮らしているのは11歳と12歳の猫ぐらいしかおらんから。せめて猫より1日でも長く生きようと思っていますよ」

言葉に悲壮感はなく、むしろコロナぐらい乗り越えてやるという思いが伝わってきた。英子によれば、天王新地で働いていれば、生活には困らないという。

和歌山を歩いた限り、やはり飲食店は休業や閉店を余儀なくされていたが、色街は以前と変わらず灯がともっていた。コロナの奔流にも負けず、色街は根を張っているのだった。

八木澤高明(やぎさわ・たかあき)
神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。

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Etienne Hartjes / shutterstock

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