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萩本欽一“浅草で腕を磨いた本物の強豪雀士”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

萩本欽一“浅草で腕を磨いた本物の強豪雀士”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』
萩本欽一“浅草で腕を磨いた本物の強豪雀士”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

コメディアンの中で最強の雀士は誰かと尋ねれば、多くのプロが萩本欽一の名を挙げることだろう。とりわけ、無名時代の欽ちゃんの強さは群を抜いていた。

なんでも坂上二郎と『コント55号』を結成する以前は、麻雀を生活の糧にしていたという。当時はストリップの幕間に、客のほとんどが見向きもしないコントに出る程度だったから、実入りはタカが知れている。

衣食住のうち、食はなんとかなるものの、とても衣や住にまで回らない。ましてや遊ぶ金など、どう転んでも出るわけがない。

芸人が踊り子のヒモになるケースが少なくないのも、そうした経済的な事情があるからだろう。ダンサーと同棲すれば家賃はかからないし、食費も浮く。洋服も買ってもらえばいい。

麻雀で飯を食っていたと吹聴する人たちの多くは、実際は眉唾である場合がほとんどだが、欽ちゃんは違う。女に面倒を見てもらうよりも、麻雀の稼ぎで少ないギャラの埋め合わせをしていた。

ストリップのメッカである浅草の劇場に出ていた頃、欽ちゃんはまだ20代前半。人並み以上に腹も減れば、女とも付き合いたい。あり余るエネルギーと時間を麻雀に向けていた。

『T』という浅草にある古い雀荘に入りびたり、日夜打ちまくる。懐にはわずかばかりのギャラ。負ければメシが食えない。だから負けるわけにはいかない。天性の勝負勘と生活を懸けた必死な姿勢が、欽ちゃんを強豪雀士に仕立て上げた。

ブラウン管では、とぼけたキャラクターで人気を集めたが、ひとたび牌を握れば手ごわい麻雀打ちに変貌する。彼の戦術には、プロも顔負けの理論が根付いているが、そのひとつに次のようなものがある。

「不要牌からではなく必要牌から切り出せ!」

坂上二郎から“奇跡の電話”

これは普通の平均的な配牌が来た場合、大抵の人は字牌や一九牌など、不要な牌から整理していく。手がまとまり始めると、真ん中あたりの牌を捨てる。

欽ちゃん理論はこの逆で、最初に自分が必要としている個所や周辺を思い切りよく整理しつつ、手作りを進めていくのだ。字牌などは安全牌になり得るので、手がそろったところで切り出す。必要牌というのは自分だけではなく、他家も必要としているわけだから、持ちすぎているとそれだけ危険度が増してくる。

したがって、欽ちゃんに言わせると不要牌から切り出す相手は少しも怖くないという。テンパイが読みやすいのである。逆に必要牌から捨てていく打ち手は要注意となるが、研ナオコのごとく〝念力〟で欲しい牌を引いてしまう相手だと、対処のしようがなくなる。彼女の雀力はそれほどでもないが、スプーンを曲げるくらい念力が強いため、めったに負けないらしい。

女性で麻雀を打つ人の多くは、不慣れな人の自動車運転と同じで、あまり周囲を気にしない。自分の走る方向だけに神経が集中しているため、しばしば他のドライバーが割を食う。麻雀にも同じことが言えるのだ。

場の状況に無関心な人の麻雀は、欽ちゃんクラスの打ち手にとって、もっとも苦手なタイプ。ナオコなどもその典型。欽ちゃんの高度な理論など、まったく通用しないのである。

余談はさておき、若き日の欽ちゃんは『劇団浅草新喜劇』を旗揚げしたが、訳あって解散し、熱海つるやホテルの営業で再起を期した。ある日、営業で考案したコント「机」を売り込もうと帰京したところ、たまたま坂上二郎から電話がかかってきた。

坂上とは、浅草ストリップ時代に知り合っていたが、当初の坂上に対する欽ちゃんの印象は「相手のことなどお構いなしで、どんどんギャグをぶっ放してくるから、やりづらくって。一緒にやったら食われるから嫌い」だったという。

偶然が重なってデビューした『コント55号』

しかし、欽ちゃんは坂上と会うことになり、その際に「机」のあらすじを教えたところ、坂上から「そのコントは俺と欽ちゃんで演じたほうがいい」と提案された。これがきっかけとなり、1966年に『コント55号』を結成。最初は1回だけの舞台契約であった。

では、なぜ欽ちゃんは苦手な坂上に会うことにしたのか。もし、いきなり坂上が電話で「コンビを組もうよ」とか「折り入って話があるんだけど…」と言っていたら、たぶん会わなかっただろうと、後年に欽ちゃんは語っている。

なんと、坂上の第一声は「欽ちゃん、麻雀しに来ない?」だった。それで麻雀好きの欽ちゃんは、「まぁ、行ってみようかな」という気分になったのだ。

そんな偶然が重なってデビューしたコント55号は、前田武彦と組んだ『お昼のゴールデンショー』(フジテレビ系)で人気に火がつき、以降も『コント55号の世界は笑う』(フジテレビ系)、『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』『コント55号のなんでそうなるの?』(ともに日本テレビ系)など数多くのレギュラー番組を抱え、70年代のテレビ界を席巻した。

その後、単独活動が増えた欽ちゃんは、80年代前半に『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)、『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)、『欽ちゃんの週刊◯曜日』(TBS系)が軒並み高視聴率を獲得し、それぞれを合計した数字から〝視聴率100%男〟の異名を取っている。

その成功の秘密は、天性の勝負勘と麻雀で培った頭脳によるものに違いない。

(文中敬称略)

萩本欽一(はぎもと・きんいち)
1941(昭和16)年生まれ。66年に坂上二郎と『コント55号』を結成し、爆発的人気を集める。70年代からは単独での活動を始め、ヒット番組を連発。以降は舞台公演やクラブ野球チームの監督として活躍した。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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