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神戸山口組元舎弟の竹森竜治・元四代目澄田会会長が死去…貫き通した信念

神戸山口組元舎弟の竹森竜治・元四代目澄田会会長が死去…貫き通した信念
神戸山口組元舎弟の竹森竜治・元四代目澄田会会長が死去…貫き通した信念 (C)週刊実話Web

3月30日、業界内外に訃報が広まった。昨年10月に現役を引退し、病気療養に専念していた神戸山口組元舎弟の竹森竜治・元四代目澄田会会長が、亡くなったのだ(享年71)。

竹森元会長が率いていた澄田会は名門として知られた組織で、初代の澄田寿三会長は、山口組二代目である山口登組長の時代に若頭を務めた人物だった。

その澄田初代は昭和17年に登二代目が死去したあと山口組を離れ、戦後の昭和21年、生まれ故郷の大阪・築港で「ことぶきの代紋」である澄田組を結成。大阪港の港湾荷役事業を軸に地盤を築き上げ、大阪でも有数の独立組織として、その名を広めた。

昭和52年5月、澄田初代が他界したのに伴い、澄田組の若頭を務めていた金崎善夫組長が翌年3月に二代目を襲名。10年にわたって初代の遺志を守り続けた。

昭和63年10月、金崎二代目が引退すると、舎弟頭を務めていた中嶋政雄組長が三代目を継承し、組織名を澄田会に改称。新たなスタートを切り、それから2年後の平成2年11月、中嶋三代目は直参として五代目山口組に加入した。渡辺芳則五代目から親子盃を受け、澄田会は山口組直系組織となったのである。

その歴史を受け継いだ竹森元会長は、中嶋三代目の子飼いの若い衆だった。中嶋三代目が率いていた二代目高村組の出身で、厳しい修業を積み重ね、竹森連合を率いた20代の頃、三代目澄田会の若頭に抜擢された。

筋を重んじ実直で真面目

平成16年4月に、中嶋三代目が病死したのに伴って跡目を継承し、当時、山口組の直系組織だった福島末博会長の勝龍会に加入。同会でも実力を発揮し、若頭に就いた。

平成19年7月、六代目山口組幹部だった福島会長が引退すると、勝龍会の地盤を引き継ぎ、四代目澄田会会長として直参に昇格。澄田会は山口組の直系組織に返り咲いたのだった。

直参昇格後、竹森元会長は平成21年2月に総本部当番責任者に就くなどし、将来を嘱望されていた。しかし、同24年9月に六代目山口組から除籍となり、四代目澄田会は解散した。

その3年後の平成27年8月、山口組が分裂し、離脱した直系組長らによって神戸山口組が発足。早い段階から竹森元会長の参画が噂されており、同年10月に舎弟として現役復帰したのだ。

「筋を重んじて、若い頃は一歩も引かないイケイケやったが、実直で真面目な一面もある親分やったで」(山口組OB)

ブランクを経て、神戸山口組での現役復帰を決意した竹森元会長。そこには、澄田会の歴史を重んじる信念があったからに違いない。

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