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安生洋二「200%勝てますよ」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

安生洋二
安生洋二 (C)週刊実話Web

数々のビッグマウスにより、大多数のプロレスファンから罵声を浴びせられることになった安生洋二。実際いくつかのトラブルに巻き込まれもしたが、クレバーな安生はこれを逆手に取って、人気選手に成り上がってみせたのだった。

〝ミスター200%〟の異名を取った安生洋二。最初に「200%」のフレーズが飛び出したのはUWFインターナショナル時代、リングスの前田日明に対しての発言だった。

「前田なんて前のUWFで終わった人間。堕ちゆく己の価値をごまかすためにUWFインターを利用しようとした。髙田(延彦)さんを出すまでもない。僕でも200%勝てますよ」

1994年の初頭、Uインターは突如として『プロレスリング・ワールドトーナメント』の開催を発表。会見場には優勝賞金として現ナマの1億円を積み上げ、鈴木健取締役は当時の主要5団体のエース格、橋本真也(新日本プロレス)、三沢光晴(全日本プロレス)、天龍源一郎(WAR)、船木誠勝(パンクラス)、そして前田への招待状を掲げてみせた。

根回しなしの一方的な発表で名前を出された橋本や三沢は反発。天龍と船木も自団体のスケジュールを理由にやんわりと断る中で、唯一、前田だけは前向きな姿勢を見せた。

ただし、前田の意向はトーナメントへの参加ではなく「リングスとUインターの対抗戦」というもので、それ自体はUインターがトーナメント開催を発表する前から、前田が提案していたものだった。

どこかユーモラスな「200%」という言葉のチョイス

7対7の全面対抗戦という前田のプランに対して、Uインターの選手兼取締役だった宮戸優光は、リングス側のほとんどが同ネットワークからの外国人選手になることを指して、「どこの馬の骨か分からない選手と対抗戦はできない」と反発する。

すると、これに対して前田は「馬の骨はおまえであって、うちの選手に関して言えば、みんな国の代表なり、世界選手権を取ったり、五輪で入賞したり、前歴がハッキリしてるんですよ」と怒りをあらわにした。

宮戸としては「それらの選手にプロレスができるのか?」との意図もあってのことだったろうが、前田としても自ら構築したリングス・ネットワークにケチをつけられたのでは気分が収まらない。

こうして交渉は不調に終わり、それを受けてのUインター側の会見の中で飛び出したのが、冒頭に記した安生の「200%発言」だった。なお、実際は自らの意志で発したわけではなく、宮戸の要請によるものだったと、のちに安生本人は自著で明かしている。

では、なぜこのような過激発言に及んだのかといえば、プロレスファンの間には「リングスの強豪外国人たちからUインターが逃げた」との空気があり、これを払拭するためには、一発かましておかなければならないとの判断があったからだ。

団体トップの髙田に汚れ役をさせるわけにもいかず、安生にその役が回ってきたことになる。しかし、第2次UWFのときに安生が、ムエタイ史上最強との呼び声も高かったチャンプア・ゲッソンリットと異種格闘技戦で互角に渡り合ったことなどから、そのポテンシャルを信頼し、実際に前田と闘ってもなんとかなるとの考えもあっただろう。

ただし、前田への挑発そのものは宮戸の要請であったにせよ、「200%」という言葉のチョイスはどうだったか。

単なる暴言というだけでなく、どこかユーモラスな含みのあるこの言語感覚は、その後の活躍を見たときに、宮戸ではなく安生によるものだと考えるほうがしっくりとくる。

空気の変わり目を見極めるセンス

同年末には、さっそく同フレーズを再利用して「ヒクソン・グレイシーには200%勝てる」と豪語。さらに翌年、新日との対抗戦に際しては「長州力には210%勝てる」と言ってのけた。いずれにおいても安生は惨敗を喫することになるのだが、なぜか、これ以降はむしろ安生の人気は上昇していくことになる。

前田へのビッグマウスにより、プロレス界の憎まれ役として多くのファンから厳しい目を向けられることになったが、ヒクソンと長州に敗れたことで、〝安生アンチ〟の溜飲が下がったところがあったに違いない。

そんな空気の変わり目を察知した安生のセンスも見事なもので、以後は「200%」を売り文句にして、決め技である変形の足4の字固めを「グランドクロス200」と命名し、「200%マシン」なるマスクマンまで登場させることになった(正体はかつて大日本プロレスに所属したブルーザー岡本)。

また、安生は高山善廣と山本喧一を従えてのユニット「ザ・ゴールデン・カップス」でヒール&コミカル路線を確立すると、Uインター、キングダムの崩壊後も、全日本プロレスやWJ、ハッスルなどに参戦して大いに人気を博した。

その一方で最初の前田への「200%発言」は、前田による安生脅迫事件や安生の前田襲撃KO事件を引き起こし、後者においては傷害罪に問われることにもなった。しかし、こうしたトラブルにもめげない図太さこそが、安生の一番の強みだったのかもしれない。

《文・脇本深八》

安生洋二
PROFILE●1967年3月28日生まれ。東京都杉並区出身。身長180センチ、体重100キロ。得意技/得意技はグランドクロス200(変形の足4の字固め)、グーパンチ。

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