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弘道会・竹内会長「熱海」弔問――稲川会との確かな絆

弘道会・竹内会長「熱海」弔問――稲川会との確かな絆
弘道会・竹内会長「熱海」弔問――稲川会との確かな絆 (C)週刊実話Web

3月24日の早朝、静岡県・JR熱海駅前には高級車が列をなしていた。駅には喪服姿の稲川会・内堀和也会長(東京)が降り立ったが、しばらくすると再びホームに上がった。新幹線が到着したのち、階下へと移動する内堀会長の隣には、六代目山口組・竹内照明若頭補佐の姿があった。

この日、稲川裕紘三代目(故人)夫人の告別式が執り行われ、司忍組長の名代として弔問に訪れたのだ。

「六代目山口組と稲川会が特別な関係にあるからこそ、内堀会長と兄弟分の竹内若頭補佐が駆け付けたのだろう。親族への配慮から参列はせず、焼香だけして本拠地の名古屋に戻ったようだ」(関東の組織関係者)

23日には通夜が営まれ、開始前に住吉会(東京)からも関功会長の名代として最高幹部が弔問したという。

山口組と稲川会の関係は古く、かつては対立関係にあった両組織が縁を結んだのは、昭和47年のことだった。三代目山口組(田岡一雄組長)の山本健一若頭と稲川会(稲川聖城会長=当時)の石井隆匡理事長、さらに山口組・益田佳於若頭補佐と稲川会・趙春樹専務理事の2組が義兄弟盃を交わしたのだ。

三代目山口組時代に始まった稲川会との絆

平成8年には、五代目山口組・渡辺芳則組長と稲川会・裕紘会長が、五分の兄弟分の契りを交わすという電撃的な縁組みも執り行われた。トップ同士の兄弟縁組は初めてであり、両組織はより強い絆を結んだ。

以来、司六代目体制でも交流が続けられ、平成18年には、二代目弘道会の若頭だった竹内若頭補佐と、二代目山川一家の若頭だった内堀会長が兄弟盃を交わし、より緊密な関係を構築。

「山口組が分裂したときも、いの一番に駆け付けたのは内堀会長だった。当時は理事長で、関東から名古屋の弘道会本部まで単独で陣中見舞いに来ていた。兄弟分を案じての行動だったのだろう」(同)

それは竹内若頭補佐も同様で、稲川会が住吉会とのトラブルの渦中にあった3月18日には、稲川会本部を訪問している。

「三代目山口組時代に始まった稲川会との絆は現在まで受け継がれ、確かなものになっている。裕紘三代目の夫人の死去に伴い、竹内若頭補佐が名古屋から足を運んだことが、何よりの証拠といえる」(同)

弔問を終え、熱海駅に戻った竹内若頭補佐は沈痛な面持ちだった。まるで内堀会長の悲しみを共有するかのようで、そこにも兄弟分としての絆がうかがえた。

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