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「雑談の効用」田中角栄の事件史外伝『宿命の二人――竹下登との“人たらし比べ”秘録』Part7~政治評論家・小林吉弥

衆議院議員、自民党、首相=1973(昭和48)年8月5日撮影(C)共同通信社

竹下登内閣当時、郵政大臣だった中山正暉代議士から、筆者はのちにこんな話を聞いている。

「大臣として首相官邸の総理執務室によく顔を出していましたが、なるほど、竹下さんはこうして人を〝懐柔〟するのかと、つくづく感心したことがあります。

竹下さんに『私、これこれをやりますけど、頭に入れておいてください』などと言って執務室を出ようとすると、ひょいと竹下さんから『中山さん』と声がかかるんです。何かと思って振り返ると、『だいぶ忙しいようだけど、体には気をつけてくださいよ』と。

まぁ、ちょっとした一言ですが、そんなことをわざわざ閣僚に言う総理はまずいません。そう言われて、ジーンとこない人はいない。ホロリとさせられる。どうしても、この人のためならやってやらなきゃならんなと思うのは、人情というものでしょう。他の閣僚にも同じような〝手〟を使っていたとしたら、これはかなり高等な人心収攬術と言えますね」

また、竹下と親しかった政治部記者のこんな証言も残っている。

「竹下は持ち前の人当たりのよさ、如才なさで、次々に人を取り込んでいった典型的な人物でした。例えば、記者との懇談の席に遅れてくるときでも、揉み手をしながら『やあ、お待たせしてすまん、すまん』とやる。それは、相手が早く来ていて、自分が定時を守っていても必ずやるんです。その徹底した低姿勢ぶりに、反発する人間はいないということです」

筆者自身も、竹下が首相の座を降りて半年ほどたった頃、竹下の個人事務所がある永田町TBRビルのエレベーターで、こんな光景に直面したことがある。

竹下流「雑談の効用」

筆者が何人かの待ち人とともに、エレベーターに乗ろうと待っていると、下降してきたエレベーターの扉が開き、竹下が秘書らに囲まれ降りて来た。そのときの竹下の姿が、なんとも印象的であった。

それまで話には聞いていたが、竹下はややかがみ、胸前で手を合わせ、エレベーターを待つ人たちに軽く会釈をするような仕草で降りて来たのである。

そこには、首相として最高権力者の座にあった威光はなく、ひたすら低姿勢と周囲への気配り、目配りを前面に出し、政界の階段を一歩一歩のぼってきた〝苦労人〟の姿があった。

田中角栄なら左手をちょいとかかげながら、昂然と胸を張って威風堂々のところ、ここでも生きるスタイルの違いを見せつけた格好だったのである。

その竹下の極め付き低姿勢ぶりは、「雑談の効用」を知り抜いたところにも見られた。

どういうことか。前出の竹下と親しかった政治部記者が言っていた。

「国対副委員長の頃、国会の院内にいるときに少しでも時間があれば、とくに用もないのに野党の控え室に行っては、とりとめのない雑談に興じていた。その雑談を耳にしたこともあるが、野党の者に『何か困ったことでもありますか』などと、野暮なことは決して言わない。そう切り出しては、相手から本音が出るものではないことを知り抜いているからです。

ニコニコ笑いながら、『あんたら、この件どう思ってるの?』などと言っている。相手はつい乗せられて、余計なこと、本音に近いことをペロッとやってしまう。そのあとですね。そんな野党の〝困ったこと〟に対して、黙ってフォローしておいてやるんです。

礼を尽くせば人は動く

野党からすれば、もとより竹下に感謝するしかなく、与野党対立のときでも『竹下が頭を下げてくるんじゃしょうがない』で、徹底抗戦から妥協の道を探ることになる。まさに、この〝雑談の効用〟は、政治の師である佐藤栄作(元首相)から教えられた『人間は口は一つ、耳は二つだ。まず人の話を聞け。人間関係をうまくやるコツだ』の実践でもあったのです」

こうした雑談の効用は、一方で〝老人キラー〟としての効用も生んでいる。

年寄りというものは、いつの時代も寂しいことが相場である。かつて、どんなに威光を放った人物でも、さすがに往時のようには人が寄ってこなくなる。竹下は、これも国対副委員長の頃だが、時間があると野党相手に限らず、自民党の長老議員のいる議員会館などをひょいと訪ねては、ひとしきり雑談に興じてくるのだった。

「訪ねられた長老議員が、竹下をかわいく思わないわけがない。あとで『この前に竹下君が訪ねてきたが、アレはなかなか勉強している。伸びるぞ』みたいなことを、必ず誰かにしゃべることになる。それがまた、やがて党内の実力者にも伝わり、結局、『そうか、それじゃあ竹下を一度、使ってみようか』となるわけです。こうして、とくに年寄り、長老議員にかわいがられたことで、竹下は〝出世の階段〟をのぼっていったのです」(同)

相手に礼を尽くせば、人は動くということでもある。

人心収攬術にたけたさしもの田中も、ここまで徹底した低姿勢で臨む竹下流には、目をむくしかすべがなかったということだった。

(本文中敬称略/Part8に続く)

【小林吉弥】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。最新刊に『新・田中角栄名語録』(プレジデント社)がある。