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千葉茂“巨人軍のレジェンドが夢中に!”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

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日本プロ野球における戦前の1リーグ時代からセ・パ両リーグ分裂後にかけて、巨人軍の名二塁手として活躍した千葉茂。ライト打ちの名人であり、バントの巧さ、職人芸の守備力に、目利きのプロ野球ファンはしびれた。

とりわけ〝猛牛〟とあだ名された旺盛な闘争心は、紳士球団を標榜するジャイアンツでは異彩を放っていた。しかし、個性的であるがゆえ、現役引退後は監督に就任することなくチームを去った。

その後、千葉は近鉄監督に就任したものの、1959年から3年連続で最下位と低迷し、ユニホームを脱いでいる。ただ、特筆すべきは千葉の人気にあやかって、球団の愛称が「パールス」から「バファローズ」になったことである。

日本プロ野球の長い歴史を見ても、個人のニックネームがそのまま球団名に付けられた例は、千葉ひとりしかいない。長嶋茂雄や王貞治ですら持ちえない偉大な勲章と言える。

しかし、麻雀卓を囲んだときの千葉は、バファローのイメージとはほど遠い雀風を披露してみせた。現役時代にファンを魅了した渋い犠打、懐の深い守備力が、そのまま麻雀に体現され、さらに変則的な技を取り入れたクセ者なのである。

戦前の文壇麻雀を起点とした麻雀ブームは、映画界に限らずプロスポーツ界にも広がった。その中でも遠征試合の際、時間つぶしに格好だったため、プロ野球選手は好んで牌を握った。

デーゲームなら試合後、宿舎に戻ってから夕飯をはさんで卓が立つ。ナイターの場合は夕方までに球場入りすればいいので、朝食を終えたら出発時間まで、たっぷり打つことができる。

「あの時分、遠征に出かけると、球場にいる時間よりも麻雀している時間のほうが長かったよ」

千葉は生前、そんなことを言っていた。

ナイターのときは午前中からジャラジャラ音が…

巨人の第2期黄金時代、野手陣は川上哲治、青田昇、与那嶺要、南村侑広、そして、千葉と強打者が並び、投手陣も藤本英雄、別所毅彦、中尾碩志、大友工と先発完投型のエースが4人もいた。

この選手たちを自在に操っていたのが、名監督として知られる水原茂であった。

「水さん、グラウンドでの苦労が少なかった代わりに、わしらの麻雀にはずいぶん泣かされとったよ」

千葉は当時を回想してこう漏らした。

「川上、青田、南村、藤本、別所、それにわしが常連メンバーだったが、監督の水さんも大の麻雀好きでね」

ある遠征のとき、ゲームがナイターだったため、午前中から各部屋でジャラジャラと音が聞こえ始めた。昼食をはさんで、またジャラジャラ。やがて球場入りするバスが旅館の前に到着する時間になると、麻雀を打ち切りユニホーム姿に着替えた選手たちが、次々と部屋から姿を現してきた。

バスの最前列には、水原監督がどっかと腰を下ろしていたが、どうも人数が少ない。マネジャーが調べたところ、主力の4選手がバスに乗っていない。その頃、旅館の一室では、まだ浴衣姿の男たちが熱心に麻雀を打っていた。

「カワさん、それ当たりや、親っパネだ」

青田が川上から大物手をアガっていた。

バスの中でしびれを切らした水原監督が、ある若手選手に命じた。

「おい。呼んで来い」

若手は飛びはねるように旅館に戻り、怖々と部屋の外から声をかけた。

「監督が呼んでます」

「なにぃ! まだ勝負がついとらんのじゃ」

別所に一喝された若手は、すごすごと引き返した。

麻雀好きが支えた常勝巨人

当時は東場から北場まで4回りするルールだった。その上、食いタン、先付けなし、ノーテンでも親は流れないから、どうしても勝負が長くなる。

しばらくすると、呼びにやった若手がバスに戻ってきた。

「どうした?」

「いえ、あの…」

水原監督の厳しい表情を目の前にすると、何も言えない。

「だから、どうしたって聞いてるんだ」

「で、ですから、まだ勝負がついてないと、そう言われてます」

「バカ野郎! 首に縄をつけてでもバスに乗らせろ」

監督の剣幕に気圧された若手は、渋々と旅館に向かったが、今度は声をかけても返事がない。

ユニホームに着がえているのだろうか。ゆっくり障子を開けたところ、別所、川上、青田、千葉の4人全員から、無言でにらみ返された。

若手は大先輩に何も言うことができず、再びバスに逆戻り。哀れ、こちらでも監督の「かんしゃく玉」が待ち受けていた。

結局3回、4回、バスと旅館を往復しているうちに、ようやく4人がバスに乗り込んできた。別に監督に謝るでもなく、彼らは平然といつもの指定席に堂々と腰を下ろす。

苦虫をかみつぶしたような顔をした水原監督も、何も言わない。そのままバスは球場入りした。実のところ、水原自身も大の麻雀狂で、宿舎に帰ればコーチ陣と卓を囲み、勝ち頭になっていた。

千葉によれば、別所はマウンド上の豪速球を思わせる迫力で勝ちまくり、青田はニックネームの〝じゃじゃ馬〟さながらに、卓上でもファイターと化した。

この2人に続いて川上も勝ち組で、千葉はほぼイーブン。彼らのカモになっていたのが、藤本と南村であったという。

(文中敬称略)

千葉茂(ちば・しげる)
1919(大正8)年5月10日生まれ、2002(平成14)年12月9日没。38年、巨人軍に入団、好守好打の名二塁手として活躍し、川上哲治、青田昇らとともに第2期黄金時代を築く。56年に現役引退後、59年には近鉄監督に就任した。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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