芸能

志村けん“最後の酒”は? 新型コロナで死去まで1カ月の全足取り

志村けん
志村けんさん (C)週刊実話Web

昭和・平成の時代を通じて人々を笑わせ続けてきた〝日本の喜劇王〟志村けんさん(享年70)が死去してから間もなく1年がたとうとしている。

新型コロナを発症してから死去までわずか12日。日本中から愛された志村さんの死はあまりに急で現実感が薄く、エンタメ界だけに限らず一般社会でも〝志村ロス〟に陥る人が続出した。それでも時間の経過とともに少しずつ志村さんを偲ぶ動きが増えており、今年2月には元付き人が志村さんの素顔を綴った『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』を出版している。

「出身地の東村山市ではクラウドファンディング等を募って約3200万円を集め、西武新宿線・東村山駅前に志村さんの銅像が建てられることになりました。『だっふんだぁ』や『ヒゲダンス』といった候補の中から選ばれたポーズは『アイーン』。7月上旬にお披露目される予定です」(スポーツ紙記者)

テレビでも志村さんがかわいがっていた『千鳥』の大悟と『アンタッチャブル』の柴田英嗣がMCを務める『志村友達』(フジテレビ系)が放送を続けている。また、志村さんが出演予定だった映画『キネマの神様』では、盟友・沢田研二が代役を務めており、8月の公開が決まっている。

ただ、その一方で志村さんが亡くなる前にどのように過ごしていたのかについては、現段階でもほとんど漏れてこない。

本誌は生前に親しかったテレビ関係者や水商売関係者の証言から、志村さんが昨年3月29日に亡くなるまでの直前1カ月の足取りを知ることができた。

「志村さんの酒好きはよく知られていましたが、関係者も付き人兼運転手も当時の状況については口を固く閉ざしています。そのため、感染経路を巡っては、銀座のクラブママたちの間で中傷合戦にまで発展していましたね」

“Aさん”が移籍した店に足が向かって…

こう証言するのは志村さんの飲み友達だった広告代理店マン。酒と女性をこよなく愛した志村さんが六本木のクラブやキャバクラに頻繁に通っていたのは有名な話。一度目の緊急事態宣言が出る直前の3月の段階でも変わらず飲み歩いており、この時期は銀座に現れることも多かったという。

続いて証言するのは、やはり志村さんの飲み友達だったテレビ関係者だ。

「志村さんのテリトリーは六本木がメインでしたが、実は常連だった六本木のクラブホステスのAさんが昨年1月に銀座8丁目のクラブに移籍しているんです。それで銀座にも足が向いていたみたいですね」

Aさんは志村さんとかなり以前からの知り合いで、一時は男女の仲だったという証言もある。

「Aさんは18歳のころに働いていた六本木の有名クラブチェーンで志村さんと知り合って付き合いはじめ、関係は10年以上続きました。いつの間にか男女の関係は終わったようですが、志村さんはその後もAさんの面倒をみていた。志村さんの死後、Aさんは志村さんの実兄と連絡を取り合っていましたからね」(Aさんと親しいクラブ関係者)

そのAさんが、感染前に気になる出来事があったと話していたという。

「Aさんが3月6日の夜に銀座で、たまたま志村さんの車を見掛けてメールを送信したところ、『Bにいたよ』と返信が来たそうです。Bは銀座8丁目にある高級クラブで、この夜は某アダルトビデオ会社社長が接待のために連れてきていたようです」(同)

だが、実はこの夜からしばらく後、『B』の店から3人のコロナ感染者が出てしまい、店も臨時休業していたというのだ。

最後の酒は焼酎ソーダ割2杯…

それでも志村さんはいつもと変わらない生活だったという。3月10日に向かったのは最後のテレビ出演となった『あいつ今何してる?』(テレビ朝日系)の収録スタジオ。志村さんの眠そうな様子を見たスタッフが「昨日、遅かったんですか?」と尋ねたという。

「前夜、志村さんは『千鳥』の大悟と渡辺直美、それに『ハライチ』澤部佑の3人と、六本木ヒルズ近くにあるバカラバーで明け方4時まで飲んでいたと言ってました。何でも2月20日に70歳の誕生日を祝えなかったことを気にしていた大悟が、『今日は俺に奢らせてください』と申し出たそうですが、かなり高額の請求がきて『大悟はビックリしてた』と笑ってました」

収録翌日からはオフの予定で、映画『キネマの神様』のクランクインまでゆっくりするつもりだったという。

「ただ、事務所サイドが勝手に仕事を入れたらしく、マネジャーとちょっとだけ揉めていました」(前出・テレビ関係者)

そんな中、最初に兆候が出たのは3月15日のこと。めまいがして自宅の階段から落ちたということで、主治医である港区のクリニックを受診している。

「もうコロナの危険性が叫ばれていた時期でしたから慎重に検査をしたそうです。でも、脳も肺も異常はなかった。それで志村さんも安心したのかもしれません。1日置いて17日の夜に麻布十番のバーに飲みに出掛けています。ただ、この日も調子が悪くて飲んだのは焼酎のソーダ割りを2杯だけ。これが最後のお酒になってしまいました」(同)

18日に意識不明となって緊急入院したとき、すでに肺は真っ白だったという。そして3月29日、懸命の治療も実らず志村さんは帰らぬ人となってしまった。

最期の最期まで酒と女性を愛した志村さんに、あらためて合掌。

あわせて読みたい