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藤原喜明「猪木さんに命預けます」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

藤原喜明「猪木さんに命預けます」
藤原喜明「猪木さんに命預けます」 (C)週刊実話Web

若手時代には来日した外国人を練習で締め上げて、「新日本プロレスをナメさせない」と門番的な役割を担ってきた藤原喜明。〝関節技の鬼〟として、総合格闘技ブームの到来以降も、依然として強いプロレスラーの幻想を保ち続けた稀有な人物であろう。

「私はアントニオ猪木は好きだが猪木寛至は嫌いだ」というのは、かつて猪木の側近だった〝過激な仕掛け人〟新間寿氏の言葉である。

リング上で闘う猪木の姿は尊敬すべきものだが、プライベートで怪しげな事業に精を出し、借金まみれになった上、他人への迷惑を顧みない猪木寛至は軽蔑するということで、同様の言葉はプロレス業界の内外でよく聞かれる。

そんな中にあって、「公私に隔たりなく人間・猪木のことが好き」という数少ない一人が藤原喜明だ。

若手時代には「この人のためなら死んでもいい」と覚悟を決め、実際にパキスタン遠征時、地元の英雄アクラム・ペールワンを倒した猪木に警備兵がライフルの銃口を向けると、藤原はその前に立ちはだかり盾になったという。

だからといって信者として神のように崇拝しているわけではなく、猪木が「永久機関」や「健康食品」などに執心する姿を見れば、「そうやっていつまでも夢を追うのがアントニオ猪木なんだから、しょうがないよなぁ」と笑っている。

1993年4月、新日本プロレス両国国技館大会。試合の幕間に猪木がリングに上がり、「おーい! 出てこーい!」と声をかけると、映画『地獄の黙示録』の劇中曲としてもなじみ深い『ワルキューレの騎行』が館内に流れた。

テロリスト事件で前座から浮上

大会タイトルである『マグニチュードX』の「X」として登場した藤原は、リングに上がると「猪木さんに命預けます」と一言。簡潔に古巣への復帰参戦を表明してみせた。

1972年11月、23歳で新日に入門した藤原は、当時、コーチ役を務めていたカール・ゴッチのもとでレスリング技術と関節技を徹底的に学んだ。これによりメキメキと実力を上げると、猪木のスパーリングパートナーにも抜擢され、道場破りがやってきたときにはこれを先頭に立って撃退するなど、セメントの強さを周囲に認められるまでになっていった。

リング上においては藤波辰巳(現・辰爾)ら華やかなニュースターとは真逆で、無骨なルックスや関節技にこだわる地味な試合ぶりもあって長く前座に甘んじていた。しかし、1984年2月の札幌大会で、リングに向かう長州力を襲撃したいわゆる「テロリスト事件」を起こし、一躍脚光を浴びることになった。

ところが、同年6月には教え子だった高田伸彦(現・髙田延彦)とともに、新日を離れて第1次UWFへ参戦することになる。この移籍については関係するそれぞれの人間の言うことが違っていて、「新日から移籍の命が下った」とする説もある。

そもそも第1次UWFという団体自体、前年に起きたクーデターから派生したものには違いないが、「猪木独立の際の受け皿」「新日を退社したタイガーマスク=佐山聡の新団体」「クーデターで放逐された新間氏による新日への意趣返し」など、異なる目的で進められていたプランがいつの間にか融合し、その背景には複雑に入り組んだ事情があったようだ。

アントニオ猪木とも通じる“強さ”への自信

ともかく、藤原としては「猪木に反旗を翻した」ということではなく、その時の状況に合わせただけで、これは第2次UWFへの参加や藤原組の旗揚げについても同様だった。

このようなどこか受け身の態度は、プロレス以外の芸能活動においても同様で、「チャック・ウィルソンとの相撲対決」「レスリングベアとの対戦」「アダルトビデオ監督」といったイロモノ的な内容の仕事であっても、オファーを受ければ平気でこなしている。しかし、これらをやることに藤原自身が引け目を感じていないため、レスラーとしての価値を大きく下げることにはならなかった。

その根底には、「腕があればどうにでもなる」という己への自信があったに違いない。これは猪木がさまざまなトラブルに際しても、「どうってことねえよ」と言ってのけてきた姿とも通じるものがあり、その意味において藤原は、猪木イズムの正統的な後継者だと言えるだろう。

盆栽や浪曲、陶芸、絵画など多趣味なところも、事業や政治に意欲を見せた猪木とは方向性こそ違うものの、プロレス以外にも深い関心を示したという意味においては、似通ったところがありそうだ。

となると、藤原が猪木を「好きだ」というのは「同種の人間への親しみ」のようなものだったのか。

逆を言えば猪木にしても、もし力道山が存命のまま権勢を保ち続けていたとしたら、独立など望むべくもなく、己の強さだけを追求しつつも、どこか悠々自適な「藤原的プロレス人生」を送っていたのかもしれない。

《文・脇本深八》

藤原喜明
PROFILE●1949年4月27日生まれ。岩手県出身。身長185センチ、体重102キロ。 得意技/脇固め、ヘッドバット、アキレス腱固め、クルック・ヘッドシザース。

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