国分登喜雄 (C)週刊実話Web
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『令和の“応演歌”』国分登喜雄~遅咲き演歌歌手は元自衛官(前編)

――自衛隊退官後、演歌歌手への道を歩まれたとのことですが、どのようなきっかけで演歌歌手としてデビューすることになったんですか?


国分 幼い頃から歌手になりたいという夢を抱きながらも、高校卒業後に陸上自衛隊に入隊しました。私が所属していたのは特科部隊と呼ばれる部隊です。簡単に説明すれば、大砲によって日本を守ることを主な任務にしている部隊です。


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40歳の頃、一度自衛隊を除隊して、演歌歌手の道へ進もうかと悩んだ時期もあったんですが、妻もいましたし、当時2人の子供は思春期で受験を控えていました。また、その年齢で東京に出て歌手を目指すのは遅いのではないかと考え諦めたんです。その後も仕事をしながらも、夢を諦められない私がいました。忘れるか、本当に諦めてしまえば楽だったんでしょうけどね。そうした悶々とする日々をすごしていました。


私の時代の自衛隊は、実質的に53歳で定年(54歳を迎える前日)を迎えたんです。定年後は4年間ほど夏はプール、冬はスキー場などで仕事をしていたのですが、夢を諦めて行動しないでこのまま人生を終えるのも自分がせつなく思い、歌手への道を60歳を超えて歩み始めた。もし歌手になれなかったとしても、やるだけやってみよう。挑戦してみて、失敗するなら諦めもつくと思ったんです。

先生の一言で今までの人生に納得

――なるほど。60歳を超えて夢に挑戦するのは、なかなかできることではないと思います。


国分 ずっと北海道に住み、現在も北海道で歌手活動をしているのですが、『夢つぎ船/一夜の情』で2013年に念願のCDデビューを果たしました。その後、作詞家の先生に出会ってから3〜4年くらい経った頃、2枚目のCDを出してみないかと誘って頂いた。それがセカンドシングル『男の度量/人生根性船』です。


作詞家の先生との打ち合わせでは、これまでの私の人生を振り返り、お話させてもらいました。すると、その先生が「定年後にデビューできたことが、運命と人生の転機だったんだよ」とおっしゃった。それまで夢に向かって進んできた人生に納得しましたね。


――夢にまで見た歌手デビュー。その中での苦労や課題などはありますか?


国分 歌唱力もさることながら、お客様の前で歌うとなると、容姿であったり、歌と歌の合間のトークなど、ステージ上での振る舞いも大切になってきます。そういう時には、自衛隊出身であることを話すのですが、どうしても厳しい職種を経験してきたものですから、堅い人間に思われてしまうんです。そこが今の課題だと感じています。ただ、曲には恵まれているんです。昨年7月にリリースした『俺とお前のふたり道/天の赦す所』は長年の結婚生活があるからこそ、歌うことができる曲だとも言ってくださっています。


――容姿はとても73歳に見えないですね。毎日鍛えているんですか?


国分 時々、トレーニングすることを心がけています。自衛隊に入隊していましたから、同じ70代の方々と比べれば筋肉はついているほうだと思いますね。トレーニングにより、年齢を気にせず、若い人に負けまい、活動できる、と自負しています。まだまだ活躍できるように常に自分自身を鼓舞しています。