(画像)Dollydoll29/Shutterstock
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ちあきなおみ、サブスク解禁 表舞台から去って33年 復帰を拒む芸能界の“悪しき慣習”意趣返し

昭和歌謡の歌姫伝説を持つ、ちあきなおみが歌手デビュー55周年を迎えた。楽曲が6月10日から音楽ストリーミングサービスなどで配信されているが、30年以上も表舞台から姿を消しているちあきに、オールドファンだけでなく、若い世代からも復帰を望む声が上がっている。


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「ストリーミング解禁は、ちあきが在籍したレコード会社3社が数年前から進めていた企画。日本レコード大賞受賞曲の『喝采』をはじめ、『矢切の渡し』など全シングルとアルバム、計300曲以上を配信。ちあきを知らない世代の上白石萌音や門脇麦などがファンを公言して、再々ちあきブームが巻き起こりそうです」(音楽ライター)


1969年、21歳で歌手デビューしたちあきは、『四つのお願い』(1970年)がヒットし、同年のNHK紅白歌合戦に初出場した。


以降、音楽番組に引っ張りだことなり、1972年には『喝采』で日本レコード大賞を受賞。1978年に宍戸錠の実弟・郷鍈治さんと結婚したが、その後、ちあきは所属レコードから契約解除された。

ちあきなおみ契約解除の真相は…

「契約解除の表向きの理由は、ちあきが『自分の歌いたい歌を歌いたい』と主張し、社の方針に反したからでしたが、真相は違います。結婚したことが、ちあきを寵愛していた音楽関係者の逆鱗に触れた。その音楽関係者と昵懇だった芸能界の実力者が、レコード会社に圧力を掛けたんです。つまり、レコード会社の契約解除は事実上の芸能界追放だった。今なら即、コンプライアンス違反となりますね」(所属レコード会社元社員)

もっとも、芸能界から干された彼女の才能を惜しむ音楽プロデューサーもいた。


これらの支援もあり、1980年に『アフリカのテーマ 風と大地の子守歌』で復帰。1988年に『紅とんぼ』で紅白に返り咲いた。


「1992年9月11日に最愛の夫・郷さんが肺がんで死去してから、芸能活動を休止してしまった。ちあきは芸能関係者との関係をすべて断ち切り、マスコミの前から姿を消したんです」(前出・音楽ライター)


ちなみに郷さんの月命日の9月11日には、必ず港区にある寺院に墓参りするちあきの姿が目撃されている。そして、今年は33回忌…。


「一度は芸能界を干されながらも、復帰したのは郷さんがいたからです。彼を失い芸能界に未練はなくなった。それに定期的にリリースされるベスト盤やカラオケなどの歌唱印税やアパート収入が入ってくるので、生活には困らない。復帰の意思はサラサラないと思いますよ」(前出・元社員)


ちあきの復帰の幕は開かない。