島田洋七 (C)週刊実話Web
島田洋七 (C)週刊実話Web

今くるよさん追悼 弟弟子・島田洋七が明かした男前すぎる武勇伝「『洋七くんのためなら』と佐賀まで来てくれましたよ」

女性漫才コンビの先駆けとして活躍した『今いくよ・くるよ』の今くるよさんが5月27日、膵がんで死去した。76歳だった。


くるよさんは1970年、夫婦漫才コンビの島田洋之介・今喜多代に弟子入り。1980年代の漫才ブームでは、紅一点の存在として同門の『B&B』、島田紳助らと共に一世を風靡。女性漫才師のパイオニアとしても知られる。


【関連】芸能人で浮気したいなら金と時間を使え~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』 ほか弟弟子に当たるB&Bの島田洋七氏は、今いくよ・くるよさんとのエピソードを『お笑いがばい交友譚』(小社刊)で披露しているが、改めて、くるよさんとの思い出を語ってくれた。以下は洋七氏の話だ。

「姉さんたちとの思い出はたくさんあります」

------------------------------------------------------

くるよ姉さんが亡くなったことは、深夜に兄弟子の島田一の介さんからの連絡で知りました。寝る前になんとなく嫌な予感がしていたんです。姉さんたちとの思い出はたくさんあります。弟子入りしたころ、失敗して師匠に怒られる度に、いくよ姉さん、くるよ姉さんが『私が悪いんです』と言って庇ってくれたのをよく覚えてますね。


一番記憶に残っているのは、30年ほど前、嫁のお父さんがもう先が長くないことが分かったとき。そこでB&Bの漫才と嫁の花嫁姿が見たいということで、佐賀文化会館を借りて、今いくよ・くるよ姉さんや『オール阪神・巨人』など8組に出てもらい、トリで俺らが漫才を披露したことがあったんです。姉さんたちは『洋七くんのためなら』と佐賀まで来てくれましたよ。


イベントの最後にお客さんの前で結婚式を挙げたんです。その後、親族や友達が100人ほど集まって、披露宴を開いた。他の芸人は大阪へ帰ったけど、姉さんたちは『私達は身内やから披露宴に出て今日は泊まる』と言って、一緒にお酒を飲んで、参加者全員と嫌な顔一つせず写真を撮って、大いに盛り上げてくれました。披露宴が終わるころ、『これご祝儀』と手渡されたら物すごく分厚かった。『こんないりませんよ』と断ると、『吉本にもギャラ払ったんやろ。それくらいは入ってるわ』。やることなすこと本当に男前なんですよ。


他にも、師匠と姉さんたち、B&B、紳助ら島田一門で和歌山の温泉へ行ったこともありましたね。


漫才師は、男が圧倒的に多いでしょ。その中で、女性として下ネタを言うわけでもなく、キレイなネタで笑わせる。見た目もおしゃれで華やかでしたね。いまだに、姉さんたちほど売れた女性漫才師は知りません。人間はいつか別れが来ることは分かってはいるけど、2人ともあの世に旅立つと、やはり辛いものですね。


------------------------------------------------------


相方のいくよさんが亡くなった日は、2015年5月28日。1日違いというのも何かの縁を感じる。合掌。