(画像)Aritra Deb/Shutterstock
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北朝鮮が日本にすり寄ってくる!? ロシアと中国に“無視”され日朝首脳会談を検討か

案の定、ロシアのプーチン大統領の「訪朝」は実現しなかった。


プーチン大統領は5月16日から2日間の日程で中国を訪問し、習近平国家主席と首脳会談を行った。この際、中露両国の関係強化などを謳った共同声明に署名。両国の関係を「永遠の兄弟」と表現し、世界にアピールしてみせたが…。


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「実は、プーチン大統領は以前、北朝鮮の金正恩総書記に『大統領5選を果たしたら真っ先に平壌を訪問したい』と約束していました。露中首脳会談の翌日、プーチン大統領は中国黒竜江省のハルビンを訪問。同地から北朝鮮までは約800キロしか離れていませんが、プーチン大統領が平壌を訪問することはなかった」(外交関係者)


プーチン氏が訪朝を〝口約束〟したのは昨年9月13日のことだった。


「ロシア極東アムール州のボストーチヌイ宇宙基地で露朝首脳会談が行われ、遅刻魔のプーチン大統領が会談場所に先乗りし、金正恩総書記を出迎えた。そこで、ある提案をしていたんです」(同)


当時のロシアは、ウクライナ戦争で武器弾薬不足に陥っていたため、正恩氏にこう切り出した。


「ロシアに武器を供給してほしい。その代わり、来年(2024年)5月に大統領5選を果たしたら、真っ先に平壌を訪問したい」


ところが、実際にプーチン氏が訪問したのは中国だったのだ。


「プーチン大統領の提案を真に受けた金総書記は承諾し、武器生産現場の尻を叩いた。ところが、今春になってロシアは自国での武器生産のメドがついた。そこでプーチン氏は、訪朝の約束をあっさり反故にしたのです」(同)

北朝鮮の“コウモリ外交”は限界

こうしたプーチン氏の変節に感づいた正恩氏は、3月下旬に〝根回し〟まで行っていたという。

「金成男・党国際部長を北京に送り込み、中国側に『5月にプーチン氏が北京を訪問した後、その足で平壌を訪問してほしいと伝えてくれないか』と頼み込んだのです」(中朝ウオッチャー)


しかし、〝コウモリ外交〟でロシアと蜜月関係を結んだ北朝鮮のことを快く思っていない習氏は、うまくごまかした。


「4月中旬に、序列3位の趙楽際・全国人民代表大会常務委員長を平壌に向かわせ、一応の誠意を見せながら、4月15日の〝民族最大の祝日〟と謳う金日成主席の誕生日『太陽節』を前にそそくさと帰国させていました」(同)


北朝鮮にとって頼みの綱である中国に袖にされ、続いてロシアにもソッポを向かれた正恩氏も黙ってはいない。


「プーチン氏がハルビンを訪れていた5月17日、正恩氏の実妹・金与正党副部長が奇妙な談話を発表した。与正氏は、いまや公然の秘密となっているロシアへの兵器輸出説を『荒唐無稽だ』と否定したのです」(同)


さらに与正氏は、こうも付け加えた。


「武力向上の目的は徹頭徹尾、わが軍の戦闘力強化を目指したもので、韓国を攻撃するための武器だから、他国に供給するわけはない」


取ってつけたような否定論だが、大恥をかかされた正恩氏の怒りからくる〝プーチン氏への当てつけ〟だったのだろう。

追い込まれた北朝鮮が切るカード

ロシアは5月24日に「プーチン大統領の訪朝を準備している」と発表したが、国連から制裁を科せられて経済的にも窮地に陥っている北朝鮮をパートナーとして重要視していない思惑もミエミエだ。

ただ、「永遠の兄弟」と謳った中露両国の舞台裏を覗くと、複雑な問題も垣間見える。


「中国は、ウクライナを支援する欧州各国と貿易上のつながりが深いため、あからさまにロシアに肩入れできない事情もあるのです」(前出・外交関係者)


結局、中国とロシアは対米関係で共同歩調を取っているにすぎないというのだ。


一方、北朝鮮外交が八方塞がりなのも変わらない。「汚物入り」の風船を韓国に飛ばしたり、ミサイルを発射したりと、中国とロシアに対する八つ当たりのような挑発行動を周辺国に行っているが…。


「国際的に崖っぷちに立たされた北朝鮮が、決まって繰り出してくるカードは〝日朝関係の改善〟ですが、日朝間には拉致問題という妥協できない懸案事項がある。こちらも、簡単に全面解決とはいかない案件です」(同)


実際、一時的に日朝関係の改善を北朝鮮側がチラつかせた時期もあった。


「岸田文雄首相は『条件なしの首脳会談』という発言を繰り返し、日朝関係の改善に意欲を示し続けている。それに呼応して、今年2月から3月にかけて与正氏から日本に向けた談話が続けて発表された。〝対話も可能〟という前向きな内容を含んだメッセージでしたが、3月26日に一転、『日本とは今後、接触しない』と態度を硬化させたのです」(全国紙政治部デスク)


この北朝鮮の心変わりの背景を、民放キー局のソウル特派員が解説する。


「岸田首相の発言から、日本政府が北朝鮮機関のどこかと接触を図っていたことは間違いない。ただ、北朝鮮の各組織は日本以上に縦割りで、隣の組織が何をやっているのか、ほとんど情報を持ち合わせていないんです。そのため、意思統一ができていなかった可能性がある」


拉致問題は、秘密警察・諜報機関である「国家保衛省」の機密事項で、14年に日朝交渉が行われた際には同省の担当者が日本の代表団と会っていたという。


だが、今回の一連の与正氏の発言については、北朝鮮の外務省や「統一戦線部」といった他部門は何も把握しておらず、日本への対応で一悶着あったのではないかというのだ。

外交の岸田はどう動く?

拉致被害者をめぐっては、02年に5人の帰国が実現。04年5月の第2回日朝首脳会談では、再訪朝した小泉純一郎首相が、北朝鮮に残されていた拉致被害者の家族も帰国させることに成功した。

あれから20年経ったが、その他の拉致被害者は1人も帰国できていない。


そんな折も折、北朝鮮による拉致被害者の早期救出を求める国民大集会が、5月11日に東京都内で開催された。


集会では、家族会などが4月下旬から5月初旬にかけて訪米した成果についての報告があり、横田めぐみさんの弟で家族会代表の拓也氏が、新たな運動方針を米国側に伝えたことが明かされた。


「親世代が存命中に即時、一括帰国が実現するのであれば、北朝鮮への人道支援や、独自制裁の解除に反対しない」


この方針に、米国側からも異論は出なかったという。


絶妙なタイミングで、ロシアと中国から蚊帳の外に置かれた北朝鮮と、政権支持率が危機的状況にある岸田首相サイドがうまく交渉し、拉致問題を解決に導くことができるか。


外交に自信を持つ岸田首相の動きに注目だ。