森永卓郎 (C)週刊実話Web
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核のごみは市町村判断でよいのか~森永卓郎『経済“千夜一夜”物語』

佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長が5月10日に、核のごみの最終処分地選定の第1段階となる「文献調査」を受け入れることを表明した。


文献調査の受け入れ表明は、北海道の寿都町と神恵内村に続いて全国で3例目、原発立地自治体としては全国初だ。


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最終処分地の選定は文献調査、概要調査、精密調査の順に行われ、文献調査では最大20億円、概要調査では最大70億円の交付金が地元自治体に支払われることになっている。


私は、玄海町の決断は、この交付金目当てではないかと考えている。一つの理由は、概要調査に進むためには県知事の同意が必要だが、佐賀県知事は同意する考えのないことを表明していることだ。


もう一つの理由は、これまで玄海原発がどっぷりと「原発のカネ」に漬かってきた歴史があるからだ。


もう四半世紀も前になるが、私は佐賀県から「東松浦半島地域の振興計画」の調査を受託した。


そのとき、一番印象に残ったのが、原発立地の自治体財政に与える影響だった。


半島西部の肥前町(現在は唐津市と合併)の町役場はボロボロだった。私が通された部屋は、古い木造で畳敷きだった。


一方、肥前町に隣接し、玄海原発が立地する玄海町の町役場は豪華な巨大ビルで、毛足の長い絨毯が敷かれ、平職員の座る椅子までが、まるで社長の椅子のような立派なものだった。

エネルギー問題に不可欠なものは…

原発を抱えると、電源三法交付金だけではなく、莫大な固定資産税が自治体に転がり込んでくる。現在でも、玄海町の財政収入の6割は原発関連収入だ。


だから、もっと原発関連収入が欲しいという玄海町の発想は分からないではない。しかし、最終処分場の誘致は、一自治体の判断に委ねてよいのだろうか。


使用済み核燃料とガラスを混ぜて作られる「ガラス固化体」は、直径40センチ、長さ1.3メートルの筒型だ。


製造直後は、1時間当たり1500シーベルトと、近づけば即死レベルの放射線量だ。


それを50年ほど地上で保管し、放射線量が10分の1になったところで、金属製の容器で密封し、3ミリシーベルト程度に下げる。そして、地下300メートル以上の地層に埋めるのだ。


ある程度の安全が確保できるのは、それから1000年経って、放射線量が0.15ミリシーベルト程度まで低下してからだ。


それまでの間に、地震や噴火などで放射線が噴き出せば、被害は、最終処分場の立地自治体にとどまらない。


だから、最終処分場の立地は、地盤が安定していることが絶対条件になるのだが、昨年10月に地球科学の専門家300人が、「日本に適地は存在しない」とする声明を公表している。


つまり、地層処分は、そもそも不可能なのだ。


それではどうしたらよいのか。私は、電力料金を引き上げるしかないと思う。大雑把な話をすると、現在の電力量料金は1キロワット当たり40円程度だ。


これを100円程度に引き上げれば、地熱やバイオマスなどの自然エネルギーの採算が取れる。


一方で、郊外や地方の居住者は、自宅の屋根で太陽光発電をする。電力コストは、1キロワット当たり10円を下回る。夜間は蓄電池で電力不足を補う。


大都市と地方で、電気代が10倍違う社会に転換すれば、地方移住する人が増えて、現在急速に進んでいる東京一極集中に歯止めをかけることにもつながる。


エネルギー問題は、大胆な発想の転換が不可欠なのだ。