蝶野正洋 (C)週刊実話Web
蝶野正洋 (C)週刊実話Web

蝶野正洋『黒の履歴書』~元横綱・曙太郎さんへの想い

大相撲の元横綱で、プロレスラーとしても活躍した曙(太郎)さんが亡くなった。まだ54歳だった。


2017年に倒れてから闘病生活を送っていたようだけど、あの体格で体がぶつかり合うコンタクトスポーツを続けてたんだから、体への負担も大きかったんだと思う。


【関連】蝶野正洋『黒の履歴書』~紅麹サプリメントによる健康被害問題 ほか


曙さんは外国人初の横綱として、1990年代の相撲ブームを牽引した。引退後は格闘技に転向し、2003年の大みそかにはK-1ルールでボブ・サップと対戦。負け方が少し悔しかったけど、あれは名試合だと思う。


何よりあのタイミングでリングに立ったことが重要で、勝ち負けはどうでもよかったかもしれない。曙さんが動いたことで熱が生まれたし、その勇気と行動力が高視聴率を獲得した。


当時、格闘技人気は高かったけど、体格の大きな外国人選手がメインで活躍していて、日本人は結果が残せないでいた。そこで外国人だが日本の国技で活躍した曙さんが挑むというのは、日本人が注目するのも当然だ。


曙さんはそんな世間の期待に応え、お客さんを楽しませてくれたんだと思う。


曙さんはキックボクシングや総合格闘技を経てプロレスラーに転身したけど、当時はそれを快く思ってないレスラーもいた。


結果を残せなくて弱いイメージがついた曙さんが、プロレスをするのはどうなんだという見方をされていたんだよ。


でも、実際に試合をすると、体が大きくて迫力があるし、しっかりとプロレスができる。抜群の知名度で地方の興行で客も呼べ、文字通りのスター選手だった。

第64代横綱でありプロレスラーだった曙太郎

相撲は瞬間的に勝つための競技だけど、プロレスは少し違う。そこが難しいんだけど、曙さんはそれを理解するプロレス頭があった。


プロレスラーに転身した元横綱は、他にも北尾(光司)さんと輪島(大士)さんがいるけど、曙さんが一番、対応力があったと思う。興行全体を考え、自分がどのポジションで何をすればいいのか分かっていた。


俺は新日本プロレス時代の2007年、曙さんとタッグを組みG1タッグリーグに出場している。でも、当時のことはほとんど覚えてないんだよ。


どのカードも曙選手に任せておけば試合が成り立ったというのもあるけど、俺は現場責任者もやっていたから、自分の試合は二の次で、興行を成功させることで頭がいっぱいだったんだろうね。


俺が記憶に残る曙さんの試合は「蝶野正洋25周年両国大会」3WAYマッチだな。


身長204センチで体重233キロの曙選手、ジャイアント・バーナード選手(201センチ、163キロ)、吉江豊選手(180センチ、150キロ)という3人のスーパー・ヘビー級戦の迫力はすごかった。


スペシャル・レフェリーは同志の元大関・小錦さん。TEAMハワイアンの2人には絆を感じるよね。外国人として大相撲で活躍し、異国の日本を生き抜いたプライドと誇りが、2人の絆だと感じた。


元横綱である曙さんがホームグラウンド・両国国技館でプロレス…どんな思いだったのか聞きたかった。


人柄はテレビで報道されている通り、土俵を降りれば無礼講だったらしく、天下の横綱と曙太郎を使い分ける気配りや、判断力も素晴らしかった。


第64代横綱・曙太郎、そしてプロレスラー・曙太郎を忘れることはない。