『ボクは漫画家もどき イケてない男の人生大逆転劇』三田紀房
『ボクは漫画家もどき イケてない男の人生大逆転劇』三田紀房

『ボクは漫画家もどき イケてない男の人生大逆転劇』著者:三田紀房~話題の1冊☆著者インタビュー

三田紀房(みた・のりふさ) 1958年、岩手県生まれ。漫画家。明治大学政治経済学部卒業後、大手百貨店勤務などを経て、30歳のとき講談社ちばてつや賞一般部門入選で漫画家デビュー。社会現象を巻き起こした漫画『ドラゴン桜』で第29回講談社漫画賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。
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――漫画家になる前は実家の洋品店で働いていたとか。漫画家になったきっかけは何だったのですか?


三田 明治大学を卒業後、西武百貨店に就職し、池袋店の紳士服売り場に勤務していました。ところが岩手県で衣料品店を営んでいた父が体調を崩したため、入社した年の年末に退職し、家業を手伝うことになりました。店の経営が苦しく現金収入がまったくなく、とにかくお金が欲しかった。そんなとき、たまたま手に取った『ビッグコミック』に新人賞募集の告知があり、大賞の賞金は100万円だった。「これだ!」と思い応募したのがきっかけです。


――大ヒットとなった『ドラゴン桜』はどのようにして生まれたのですか?


三田 担当者との新作打ち合わせで学園教師ものを始めることになり、僕から「落ちこぼれを1年で東大に合格させる話にしよう」とアイデアを出しました。ところが新入社員だった担当者が「なんか、あんまり面白くないんですね」と言うのです。聞けばその担当者は東大出身で、「東大に入るのは簡単なんですよ」と言う。彼にとっては、東大は特別なものじゃなかったんですね。しかし、僕も引き下がれません。「だったら主人公に『東大なんて簡単に入れる』と言わせればいい。そこから物語は始まる」と提案しました。それが、『ドラゴン桜』が誕生した瞬間でした。

『ドラゴン桜』の漫画家の大逆転劇!

――三田さんは新しいシステムで漫画を制作しているそうですね。

三田 漫画は専属アシスタントを雇用してスタジオ形式で制作するのが一般的ですが、僕の場合は10年以上前から背景の作画など人物以外はすべて制作会社に外注して漫画を作っていました。ある日、『ドラゴン桜』の担当者が仕事場に訪ねて来て、「会社を辞めて三田さんのエージェントになります」と、僕を驚かせました。僕の漫画に付帯する権利でビジネスをすると言うのですが、当時はかなり革新的でしたね。それからは漫画のキャラクターを使った広告を制作するなど仕事の幅が大きく広がりました。


――なぜ「漫画家もどき」なのでしょうか?


三田 そもそも自分が苦しい状況に陥ったときに、普通は漫画を描こうとは思いませんよね。でも要はプロが描いているように描けばいいだけのこと。つまり最初から「もどき」で十分というわけです。僕は漫画一筋のプロに徹するというよりも、いろいろな人生を楽しみたい。母校から東大合格者を送り出すお手伝いもしたいですね。これからはリラックスして、楽しんで漫画を描いていきたいと思います。 (聞き手/程原ケン)