島田洋七 (C)週刊実話Web
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力士がギャグにする『徹子の部屋』~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

黒柳徹子さん司会の長寿番組『徹子の部屋』に俺は6回以上出演していますね。黒柳さんとは番組で一緒になることはありますけど、プライベートで会ったのは一度だけなんです。


いつものように、たけしと六本木を歩いていた。夜8時ごろで時間も早かったから、飯でも食おうとイタリア料理の名店『キャンティ』の前を偶然通りかかった。


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たけしが「ここ美味しいらしいぞ」と誘うから、初めて入ったんです。


でも、俺らはイタリアンといわれても、スパゲティくらいしか料理を知らない。スパゲティ2つとオリーブオイルをかけたサラダを頼みましたね。美味しかったですよ。


しばらくすると、「3名空いてますか?」と聞き覚えのある声がしてきた。パッと振り返ると、黒柳徹子さんと女性が2人。


「おはようございます!」と2人で挨拶すると、「あんたたち、仲が良いとは聞いていたけど、本当に仲良いのね。男2人で色気ないわね」。


「今から飲みに行くんですよ。黒柳さんもこの店によく来られると聞いたので」、「ここは美味しいの。スパゲティ以外の料理も食べなさい」。そう言って店の奥の方へ消えていきました。


クラブに行くには、まだ時間が早いから俺らはワインをちびちびやっていたんです。今ほどワインが流行る前でしたね。1時間半ほどすると、黒柳さんが会計を済ませ、店を先に出た。


俺らも頃合いのいい時間になったので、会計を済ませようとしたら、「黒柳さんがすべて払って帰られました」。吉本の先輩芸人のように粋でビックリしましたよ。

「何部屋ですか?」と質問されたら…

でも、そのお礼を言おう言おうとしていたのに、いざ本人を目の前にするといつも忘れていたんです。昨年3月、『徹子の~』に出演した際、やっとお礼を言うことができたんですよ。

話をキャンティに戻すと、黒柳さんが支払ってくれた後、俺とたけしは予定通り六本木のクラブへ行きましたよ。そこでキャンティを持ち出すと、みんな「美味しいですよね」と口を揃える。


黒柳さんにご馳走になった話をしたら、ホステスさんはみんな『徹子の~』を見てるんですね。


数年後、福岡のクラブで飲んでいると、背中合わせの席に、名前を忘れてしまったけどお相撲さんがいた。ホステスさんとの会話がどうしても耳に入ってくる。


女性は相撲に興味のない人が多いでしょ。「どこの部屋ですか?」と聞かれると、お相撲さんは「徹子の部屋です」と答えている。面白くてね。思わず振り向いて挨拶しましたよ。


聞けば、お相撲さんは質問がほぼ決まっているらしいんです。だから「大きいですね。何キロあるんですか?」は「5トン」か「2トン半」と答え、「何部屋ですか?」は「徹子の部屋」がお決まりらしいですよ。


再度、別々に飲み始めると、ホステスさんの1人が「なんで横綱にならないの?」と失礼なことを聞いていたんです。


そうしたら、そのお相撲さんは「家庭の事情」と返していましたね。漫才でも、そんなオチは考えつきませんよ。


俺も周りも大爆笑ですよ。売れてない若手の漫才師も真似ればいいんです。「もうちょっと売れないの?」と質問されたら、「家庭の事情」とね。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。