(画像)takayuki/Shutterstock
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女優・山本陽子「青春の1ページとして思い出を残しておきたい」~物議を醸した『あの一言』大放言うらおもて~

今年2月20日、急性心不全により静岡県熱海市内の病院で死去した山本陽子。81歳だった。


1964年の本格デビューから亡くなるまでに出演した映画、ドラマ、舞台は数え切れないほどで、この4月にも舞台出演を控えていたという。


その整った顔立ちは終生衰えを見せず、大和なでしこから悪女まで幅広い役柄をこなした。


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代表作としては、斎藤道三(平幹二朗)の正妻・小見の方を演じた73年の大河ドラマ『国盗り物語』(NHK)、姑との関係に悩む主婦役で主演した76年の銀河テレビ小説『となりの芝生』(同)、横領した大金で銀座にクラブを開く悪女を演じた82年の『松本清張の黒革の手帖』(テレビ朝日系)などがある。


山本と同年代の女優には、浅丘ルリ子、岩下志麻、倍賞千恵子、三田佳子、十朱幸代など大女優がそろっている。


そのため演技者としての山本は、いくらか印象が薄くなってしまうのも仕方がないところである。


映画やドラマよりも、CMでの山本を強く記憶している人も多いだろう。同じ名字という縁で、デビュー間もなくから山本海苔店のイメージモデルを務めていた。


出演したテレビCMは40本に及び、契約期間が42年を過ぎた2010年には専属タレント契約の世界最長記録として『ギネス』に認定されている(契約は亡くなるまで57年間継続)。


ただし、このCMについても、同じ老舗の海苔会社で社名も似ている山本山の「上から読んでも山本山。下から読んでも山本山」のフレーズのほうが、「丸梅マークの山本海苔店」よりキャッチーだったことから、山本海苔店と山本山を混同している人が少なくない。


凛とした美貌から和装のイメージが強い山本だが、私生活ではラフなジーンズなどを好んだ。大の車好きで、ポルシェに乗った日本人女性の第1号としても知られる。


ちなみに当時の愛車は、真っ赤なポルシェ911だった。


70年代半ばには田宮二郎との不倫交際疑惑が騒動となった。山本は73年のドラマ『白い影』(TBS系)に田宮演じる外科医と恋仲になる看護師役として出演。続く74年の『白い滑走路』でも、妻が失踪したパイロット(田宮)と夫と死別した未亡人(山本)という役柄で共演し、これらを通じて既婚者である田宮との交際に至ったとされる。


互いに関係は否定したが、田宮は山本との逢瀬のために自宅近くにマンションを購入し、それを知った田宮の妻が山本を怒鳴り飛ばしたとも伝えられた。


その後、田宮は78年に散弾銃の銃口を口にくわえ、足の指で引き金を引いて自殺を遂げる。


これについては当時、田宮が手を出していた怪しげなビジネスや精神を病んだことの影響といわれるが、山本との不倫が関係していたかどうか真偽の程は定かではない。

理想の妻から“魔性の女”へ

田宮の死から半年後、改めて不倫関係を取り沙汰されると、山本は記者会見で「私の人生にとって、田宮さんはとても尊敬していた方ですので、残念に思います」と声を絞り出すようにして、その死を悼んだ。

84年には当時42歳の山本と、アイドル的人気だった21歳年下の俳優・沖田浩之との熱愛が発覚する。2人は82年のドラマ『愛を裁けますか』(TBS系)で女教師とその教え子として共演していた。


山本は都心の住宅地にある自宅マンションに堂々と沖田を連れ込み、楽しげに会話しながら歩く姿は近所でも評判になっていたという。


交際が報じられると、沖田は「山本さんは僕にとって大切な人。恋人、姉、そして母親…」と神妙な面持ちでコメント。これに対して山本は堂々と交際を宣言し、「彼の態度は男らしく、爽やか」と、のろけてみせた。


山本は沖田との結婚を真剣に考えたというが、年の差を心配する周囲の反対もあって、およそ2年の交際の末に破局となった。


その沖田は99年に自宅で首吊り自殺。これを伝え聞いた山本は、出演する舞台の制作会見の場で「青春の1ページとして思い出を残しておきたい」と涙を流した。


若かりし日には「サラリーマンが選ぶ理想の妻」にも選ばれた山本だが、2度の恋愛騒動を経て「恋多き女」「魔性の女」と呼ばれるようになった。


生涯独身を通した山本は、その間に交際した相手が田宮と沖田だけというわけでもなかろうが、偶然とはいえ著名な元恋人が2人とも自殺したという事実に、数奇な運命を思わずにはいられない。


ただ、たびたびのスキャンダルに見舞われながら、ほとんど仕事が途切れなかったのは、時代性もあっただろう。


また、山本と多くの仕事を共にしたテレビプロデューサーの石井ふく子が「主演でも偉ぶらず、場の雰囲気を盛り上げてくださった。素敵な方でした」と評したように、その気立てのよさで現場から好感を持たれていた部分も大きかったに違いない。


(文=脇本深八)