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逆恨み? 金銭目当て? 芸能美女たちの“報復ポルノ被害”流出事件史

LightField Studios / Shutterstock

昭和の時代から、プライベート写真や盗撮映像、極秘ヌードの不本意な流出に多くの女性芸能人が悩まされてきた。

1972年(昭和47年)に起きたのは、『ウルトラセブン』のアンヌ隊員役で人気者になった女優・ひし美ゆり子の極秘ヌードの流出事件。

「所属事務所との契約が切れ、女優を辞めようとしていたタイミングで、個人的な記念のつもりで撮影したヌード写真が『週刊プレイボーイ』に流出してしまったのです。そのグラマラスボディーに世の男性は熱狂し、その後、思い切りのいい脱ぎっぷりで女優として人気が再燃。時代のセックスシンボルとなりましたが、流出事件の真相は明かされていません」(芸能ライター)

日本テレビ系ワイドショー『ルックルックこんにちは』の司会が好評で、知的美女として人気の高かった沢田亜矢子のプライベートヌードが流出したのは、84年秋だった。

「かつての交際相手が出版社に持ち込んだもので、掲載された『FRIDAY』は大きく部数を伸ばしました。この騒ぎに、沢田は芸能活動を休止して渡米。この渡米中に、沢田は極秘出産していたことで、さらに大きな騒ぎとなりました」(同・ライター)

2000年代に大ブームとなった“お宝系”月刊誌

86年には、あの山口百恵の極秘ヌードが写真週刊誌『FOCUS』に流出した。

「写真は78年に発売されたアルバム『曼珠沙華』のジャケット写真撮影時に、カメラマンの篠山紀信氏が撮っていたもの。デビュー当時から山口を撮り続けてきた篠山氏との信頼関係から、ヌードでの撮影要請に応じたものでした。現像所からの流出とみられ、篠山氏が現像所を訴える騒ぎに発展しました」(同)

2000年代には『BUBKA』を中心としたゴシップ・お宝系月刊誌が大ブームとなり、多くのアイドル、女優のプライベート写真が流出した。

「『BUBKA』の編集長のデスクの引き出しには、いつでも売り込みにきた写真を引き取れるように、常に現金が用意されていたといいます。それまでは大手出版社の週刊誌に持ち込まれることが多かったものが、大手芸能プロとの関係性によって扱いづらくなった時代背景もあり、続々と月刊誌に持ち込まれることになりました」(同)

中でも最大のインパクトだったのは、01年の『BUBKA』7月号に掲載された、《奥■恵》のプライベートヌード写真だった。