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「直球と変化球」田中角栄の事件史外伝『宿命の二人――竹下登との“人たらし比べ”秘録』Part4~政治評論家・小林吉弥

衆議院議員、自民党、首相=1973(昭和48)年8月5日撮影(C)共同通信社

竹下登が島根県議会議員2期目のさなかに辞職し、自民党公認として中選挙区制下の〈島根全県区〉から最高点で衆院初当選を飾ったのは34歳、時に田中角栄は衆院当選5回、戦後初の30代(39歳)の郵政大臣であった。

共に佐藤(栄作)派に所属、田中はすでに佐藤派幹部として派閥の台所(カネ)の面倒を見る立場にあり、一方の竹下は同じ佐藤派でも〝田中系〟ではなく、佐藤に極めて近い、やはり幹部の保利茂のもとで国政のイロハを学んだ。保利は佐藤の信頼厚く、質実剛健、佐藤が政権を取ったあとは自民党幹事長など要職を託された人物である。ために、竹下の「政治の師」は佐藤と保利の二人となり、田中とはこの頃から一線を隔てた形となっている。

一方、田中の頭のよさ、とくに記憶力の凄さは、その馬力ともども永田町でもすでにあまた知られており、各省庁の課長以上の年次を含む経歴をすべからく暗記、これを陰に陽に駆使して役所との関係を築いていた。こうした記憶力は、密かに田中の自慢の部分でもあった。

しかし、前号で竹下の記憶力の凄さは田中に優るとも劣らずと記したように、県議時代から際立っていた。竹下と気脈を通じていた元政治部記者の証言が残っている。

「竹下が県議に当選してまずやったことは、島根県庁の課長以上の職員の経歴を頭に叩き込むことだった。顔写真付きの名簿を徹底的に暗記、2期目に入る頃にはどこの課をどう押せば、誰を動かせば県予算が動くかなどのノウハウを、すべて熟知していた。ために、勉強不足の先輩議員たちの〝知恵袋〟にもなっていた。『この補助金はどの課に行ったら埒が明くか』と尋ねられれば、竹下はたちどころに『地方課がいい。○○課長は物わかりがよい』などと、〝一発解答〟していたものだ。

竹下登の記憶力の凄さに嫉妬…

そうした竹下ではあったが、国政に転じたところで佐藤にガツンとやられた。佐藤は佐藤派幹部の橋本登美三郎(佐藤政権下で官房長官などを歴任)ら役人出身でない者には、『役人の年次、経歴を覚えなければ役所は動かんぞ』と、よく言っていた。竹下にも同様に、私学(早稲田大学商学部)出で役人経験がないことから、徹底的に覚えろと強く言ったようである。ために、竹下は衆院2期目あたりで、全省庁の課長以上の年次、経歴はすべて頭に入れていた。当時の竹下は周囲に自信満々、こう言っていた。『各省の官房長より、僕のほうが役人の年次はよく知ってる』と」

「役人の年次、経歴は誰より俺が知っている」と自負する田中も、これでは面白かろうはずがない。「竹下の野郎、俺のまねをしやがって」とばかり、厳しい視線を竹下に投げかける一方で、竹下の頭のよさ、記憶力の凄さに嫉妬めいたものを感じていたかもしれない。ここでも田中にとっては、竹下への「近親憎悪」の念が去らなかったようだ。

そのうえ〝直球〟勝負の田中と異なり、竹下は〝変化球〟を操ることができた。この〝変化球〟による「人たらし」の術は、はるかに田中をしのいでいたのである。例えば、後年の竹下には「目配り、気配り、カネ配りの竹下さん」との〝異名〟があった。

その「目配り、気配り」については、前号までに田中を呆気にとらせた「タテカン事件」、あるいは不遇な部下の面倒を見る「損失補填」の徹底ぶりで触れているが、気配りをここまでやるかの好例がある。

筆者はかつて、竹下の直子夫人、3女の公子、両人に次のような話を聞いたことがある。

自分の家でも“気配り”の男

「世間で言われている父の気配りは、家庭にあっても少しも変わりません。現職の首相時代でも、夜遅く自宅に戻ってくると若いお手伝いさんたちに、必ず『いやいや、すまん、すまんね。もう遅いから休みなさい』と声をかけます。娘の私から見ても凄いなと思いました」(3女・公子)

「つくづく、夫は政治家になるために生まれてきたような人だと思っています。家の中でも嫌なことは多々あったでしょうが、愚痴をこぼしたことは一度だってなかったですね。私に対する気遣いも同じです。2階の寝室で休んでいても、夜中、トイレに立つときは、わざわざ階下まで降りていくんです。水洗の水音で、私が目を覚まさないようにとの気遣いなんです」(直子夫人)

田中も自信たっぷり、周囲への気配りは相当なものだったが、竹下における夫人へのトイレ秘話のような気遣いまでは、さすがにしていなかったようだ。こうしたことも、竹下を面白く思わぬゆえんの一つと言えたのである。

人への説得術においても、田中はガツンと〝直球〟勝負だが、竹下はねばり強い〝変化球〟で相手を打ち取るのである。すなわち、相手の意見を徹底的に聞くことで、最後は「落とすところで落とす」という説得術なのだ。

こうした〝手法〟を衆院初当選の直後、竹下は「師匠」の佐藤から教えられた。佐藤は、言った。

「竹下君。人間は口は一つ、耳は二つだ。まず、相手の話を聞け。人間関係をうまくやるコツだ」

竹下は愚直に佐藤の教えを実践し、これが功を奏した形で、やがては天下を手にすることになる。

(本文中敬称略/Part5に続く)

【小林吉弥】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。最新刊に『新・田中角栄名語録』(プレジデント社)がある。

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