(画像)Laiotz/Shutterstock
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大昭和製紙・齊藤了英氏「自分が死んだらゴッホとルノワールの絵も一緒に焼いてくれ」~物議を醸した『あの一言』大放言うらおもて~

1980年代後半からのバブル期、急激な円高で力をつけたジャパンマネーは世界中で猛威を振るい、日本の企業や実業家たちが海外資産を買いあさった。


89年には大手総合デベロッパー、米ロックフェラーグループの株式51%を三菱地所が取得。同グループはニューヨークのロックフェラーセンターを所有しており、マンハッタン摩天楼群を代表する建物を日本企業が買収したことは、世界的にも大きな注目を集めた。


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91年には、映画でキングコングがよじ登ったエンパイア・ステート・ビルも、ホテルニュージャパン火災で有名な横井英樹氏らによって買収されている。


ハリウッドでは90年、MCAを松下電器産業(現・パナソニック)が約7800億円(金額は当時。以下同)で買収。同社は映画最大手のユニバーサルなどを傘下に持ち、日本企業による海外企業の買収額としては史上最高を記録した。


買収は企業や不動産にとどまらず、美術品にも及んだ。


87年には安田火災海上保険(現:損保ジャパン日本興亜)が、当時のオークション最高額を更新する約58億円でゴッホの『ひまわり』を落札した。


そして、90年には大昭和製紙(現・日本製紙)の齊藤了英名誉会長が、同じくゴッホの『医師ガシェの肖像』を約125億円で、さらにルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』を約118億円で落札した。


『医師ガシェの肖像』のオークションで齊藤氏は、代理人の画商に「いくら出してもいい」と伝えていたそうで、その結果、世界一高い絵画としてギネスの世界記録に認定されることにもなった。


齊藤氏はよほど満足だったのだろう。


記者団にコメントを求められた際、「自分が死んだらゴッホとルノワールの絵も一緒に焼いてくれ」と口を滑らせ、その理由を「遺産相続が何百億円になると面倒くさい」と語ったことで、大ブーイングを浴びることになる。


この発言には海外の美術関係者から「文化を冒涜している」「人類の貴重な財産を灰にするつもりか」と猛烈な非難が巻き起こり、これを受けて齊藤氏は「自分の命と同じくらいに大切なものという意味で、作品に対する愛情を表現した言葉のあやだ」と弁明したが、後の祭りだった。


美術界からの反発が収まることはなく、さらに『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』については贋作疑惑が持ち上がったりもした。


本物は仏パリのオルセー美術館にあるというのだが、実のところ、この絵には大小の2種類があって、大きいほうは確かに同美術館に所蔵されているが、齊藤氏が落札したのは小さいほうの作品だった。


つまり、齊藤氏のほうも正真正銘の本物であり、そんなことは調べればすぐ分かるはず。しかし、デマさえ批判の材料にされるほど、日本に美術品が流れていくことに対する危機感があったわけである。

バブル崩壊と絵画の行方

なお、日本の実業界において、いわゆる財テク目的として金融商品などと並び美術品の売買が盛んになった背景には、「バブルの王様」「地上げの帝王」と呼ばれた森下安道氏の存在があった。

街金融のアイチを率いた森下氏は、中小企業を相手にした手形割引で飛躍的に業績を伸ばした。


89年には英国の競売会社の大口株主となり、「絵画購入に投じた資金は約500億円」「2000億円ぶんぐらいのストックを持つつもり」「1億円以下の絵はいらない。10億円クラスの絵でないと面白くない」と、美術専門誌などでも豪語していた。


「言い値」が通る美術品は裏金づくりや税金対策などに適していて、89年に発覚したイトマン事件でも絵画取引が不正の一端となり、そこには森下氏も関与していたといわれる。


ただし、くだんの齊藤氏は財テク目的ではなく、あくまでも美術愛好家としての落札だったようで、生前にはゴッホやルノワール、そして縁が深かった日本画家の平山郁夫らの絵を集めて、地元の静岡市に美術館を建設する壮大な夢を語っていたという。


齊藤氏の死後には、孫も「祖父は本当に絵画を愛していた」と語っており、実際に絵画の高額転売などは行われていない。ゴルフ場建設をめぐる1億円の贈賄容疑で逮捕されたこともある齊藤氏だが、こと絵画に関しては本気だったようだ。


96年に齊藤氏が亡くなると、バブル崩壊の後始末として買い集めた絵画は海外の競売会社に売却された。


ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』は94年に、ほぼ半値の約60億円、ゴッホの『医師ガシェの肖像』は97年に、こちらはさほど値が下がらず約105億円で落札されたという。


だが、齊藤氏以外にもバブル期に日本人が買い集めた絵画はたくさんあり、それらの多くは当時の高値に見合う買い手がつかないままだという。


美術館などで公開されることもなく、文字通り「お蔵入り」になってしまっているようだ。