監督・脚本/ジュスティーヌ・トリエ
出演/ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ、サミュエル・タイス
配給/ギャガ
小説書きの夫婦に起きた「ある事件」をめぐる物語なわけですが、見終わった後、「分厚い裁判モノの小説を一冊読み切ったぁ」という達成感に包まれました。
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人里離れた雪山の一軒家で男が転落死する、起きたことはシンプルなんですよ。それが「事故か、自殺か、はたまた男の妻による殺人か」を突き止めようと尋問する法廷シーンが、まるでドキュメンタリーのように続きます。
パンフレットに載っている監督談によると「回想シーンは使わないと決めていた」そうです。つまり、我々観客は「事実」を映像で見られず、検事、弁護士、被告である妻、たった1人の証人である11歳の息子、4人の立場で発せられる言葉のみで真相を想像することになります。
「解剖学」というタイトルから、沢口靖子のような法医学のプロが現れて犯人捜しにつながるといった、TVの2時間ドラマみたいな流れじゃないのでご注意を。これはジリジリとした心理戦の映画です。
尋問されるにつれ、妻の嘘や夫婦間の葛藤が少しずつ暴かれていって、我々は「もしかして…」と疑心暗鬼になっていきます。
日常の裂け目、どこまで「落ちて」いくのか?
その心理的変化を支えているのが、「ほとんどない音楽」。終盤にようやくBGMがかかるのですが、ほぼ静かな画面展開が続きます。
だからこそ、「視覚障がいのある少年が、心の声を絞り出すように1音1音奏でるピアノの音」と、「夫が屋根裏部屋でDIYしながらかける異常な音量のラテン音楽」が際立って、見ている方は必要以上に不安を感じて心がグラグラする…まさに監督の狙い通りです。
不安定といえば、小説家の妻と死んだ夫との関係も伝統的な夫婦とは逆転し、育児の不平等で喧嘩をふっかけ、イラつくのは夫の方。
そんな夫の殺人を疑われた妻が依頼した弁護士は古い友人のようなのですが、2人で車に乗り真っ暗な雪道の中をかなりのスピードで走る何でもないシーンで、疑心暗鬼モードになっている我々は「訳ありの関係」を予想して目が離せません。
何気ない日常に裂け目が潜んでいて、その奥には未知の闇が広がっていることが、ホラーばりに怖いなと感じてきます。
物理的に人が落ちる、精神的に落ち込む、人間関係のドツボにはまる…まさに「落下」にメスを入れて繊細に腑分けしていく「解剖学」とはこういうことかと。
さすがはカンヌ国際映画祭で最高賞をとっただけある、地味ながら人間の深淵に迫る作品でした。
やくみつる
漫画家。新聞・雑誌に数多くの連載を持つ他、TV等のコメンテーターとしてもマルチに活躍。
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