紅子 (C)週刊実話Web
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写真家/紅子インタビュー~遊郭・赤線にこだわる“色街写真家”〜

紅子は日本各地に残る遊郭や赤線・青線の跡地を撮影する写真家だ。


被写体へのこだわりを込めて「色街写真家」と名乗る。自身も13年間、風俗店で働いていた経験を持つが、カメラを覚えたのは48歳になってからだという。そんな彼女がなぜ写真家になったのか?


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幼少期の壮絶な体験なども併せて聞いた。(今回の取材は昨年末に発売された写真集『紅子の色街探訪記』=OPTIC OPUS有限会社刊=の写真展会場・モアレホテル吉原にて行われました)


――写真集を拝見すると、夕景が多いせいか、赤みがかった印象が強い。その辺の色遣いにこだわりはあるのでしょうか?


紅子 そういう指摘はよくいただいて、「赤が綺麗」とも言っていただくのですが、特に意識して撮っているわけではないんです。露出とかライティングとか、そういう技術的なことはまだまだ勉強中なので…。


――カメラを覚えたのは48歳からだとか?


紅子 はい。最初はスマホで撮っていたんです。インスタグラムに載せていたら徐々に反響をいただくようになり、「カメラの機種は?」などと聞いてくる方が増えてきて…。ちゃんと勉強しなくちゃとカメラを買ったのですが、半年くらいは触ることもしなかったです(笑)。


――ということは、すべて独学?


紅子 そうですね。ネットやYouTubeで調べて、シャッタースピードとは? といったレベルから勉強しました。今も勉強中なんですけど。


――そもそも、なぜ色街にこだわったんでしょう?


紅子 私は美術学校を出ているのですが、19歳から32歳までピンサロや吉原のソープランドなど性風俗産業で働いていました。結婚・出産を機に引退し、子どもが1歳のときに夫に恋人ができて離婚。養育費もほとんどもらえずパートで生計を立ててきたんです。子育てで手いっぱいだったので、アート活動は15年近く一切していませんでした。長らくそういう生活をしていて、ふと「私の人生、このまま終わってしまうのかな」と思ったときに、何かを残したいと考えました。役に立つかは分からないけれど、動画の編集を覚えようと独学で始めたのが最初の一歩でした。その後、仕事にするなどという意識もなく、街歩きをしながら路地裏や古びたスナックの写真を撮り、インスタに上げるようになったんです。


――紅子さんは子どもの頃、性に対してどのように考えていたのでしょうか?


紅子 1970年代ですから、テレビでは普通に裸が映されていたし、今よりずっと性的なものに対してオープンでした。私は4、5歳くらいのときにエロ本が山のように捨てられているのを発見して「こんな世界があるんだ」と憧れを抱いていたんです。当時の私は声が低くて男みたいと言われ、保育園の先生からは気味悪がられ、友だちからは無視されるか追いかけまわされていました。人生の最初から人間関係につまずいていたので、エロ本を見ては「こういう世界に行けば自分も受け入れてもらえるんじゃないか」と思うようになったんです。その頃から引きこもり気味になり、女性の裸を妄想しては絵に描き、自分も裸になりたいという願望を強く持つようになりました。


――そうすると、性体験も早かったのでは?


紅子 それがそうでもないんです。中学生になったときには妄想がエスカレートして「男の人に襲われたい」と深夜に家の周りを1人で歩いていた時期もあるのですが、運がいいのか悪いのか、誰にも声をかけられずでした(笑)。


――引きこもり系だから出会いもなかったわけですね。


紅子 高校は女子校に入学しましたが、そこでも人間関係につまずいて1カ月で不登校に。半年くらいで退学して美術系の専門学校に通うのですが、絵が大好きだったので、一番居心地はよかったですね。初めての性体験も、そこで知り合った後輩の男の子でした。


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紅子 とにかく、いやらしいことがしてみたかったんだと思います。でも、経験が少ないからお客さんに罵声を浴びせられたこともあります。裸になるだけじゃダメなんだ、という挫折感も味わいました。その後は川崎堀之内、歌舞伎町、そして吉原などを転々としました。


――それがベースとなり、色街へのこだわりになったわけですね。


紅子 遊郭や赤線(合法売春地域)、青線(非合法売春地域)、それから現代の風俗街を撮り歩いています。写真に残すことで、私が働いていた場所がどのようなところだったのか、歴史を紐解きながら考えていきたいと思ったんです。これまで5回ほど個展を開いたり、講演会の依頼もいただくようになり、昨年秋に初の写真集も出版できました。ただ、私の体験はたったの13年間なので、現代の風俗を知らずに偉そうなことを言えるのかな…という悩みもあり、2年前に吉原復帰を目指して熟女専門ソープの面接を受けたこともあるんです。


――経験者とはいえ、アラフィフでの再挑戦は勇気が要ったのでは?


紅子 正直、不安はありました。でも、安定した人生よりも人生の裏街道を歩きたい、という思いもあったんです。それに、YouTubeや撮影活動に重きを置くには時間やお金も必要なので…。


――で、結果は?


紅子 合格でした。ただ、そのことを友人に相談したところ、「紅子というキャラクターは〝元風俗嬢〟だから価値がありYouTubeの登録者も増えているけれど、現役でその年齢で風俗嬢となったらみじめなだけ」と言われて…。やっぱり風俗嬢はみじめな存在なんだということを突きつけられてショックでしたが、復帰は諦めました。


――最後に、写真へのこだわりを教えてください。


紅子 遊郭・赤線等の建物は建築として美しく、価値のあるものだと思いますが、あくまで売春が行われていた場所です。だから、綺麗に撮りたくはありません。そこに深く刻まれた人の営みを写真に残していきたいんです。
紅子◆べにこ 1972年11月16日生まれ。埼玉県出身。YouTubeチャンネル『紅子の色街探訪記』が人気。3月8~17日、写真集出版記念個展が大阪市中央区『ギャラリー螺』にて開催される。 X(旧ツイッター)@benicoirmachi