島田洋七 (C)週刊実話Web 
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B&Bのギャグ「もみじまんじゅうー!」誕生秘話~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

B&Bといえば、「もみじまんじゅうー!」のギャグを思い浮かべるかもしれませんね。俺らがまだ大阪で燻っていた頃に偶然、生まれたんです。


当時、吉本の劇場では、やすきよ(横山やすし・西川きよし)さんや中田カウス・ボタンさん、Wヤングさんなど人気がある先輩がたくさんいた。


若手の俺らも笑いを取ることはできたけど、いくら稽古を積んでも先輩たちほどウケない。そこで一度アドリブだけで漫才をしてみようと思い立ったんです。


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今より持ち時間は長く15分。洋八は「アドリブでそんなによう喋らんわ」と言ってましたけど、説得して舞台へ。俺は広島出身で洋八は岡山出身。広島と岡山のそれぞれにあるもの、ないものを言い合うというアドリブになった。


「岡山は何がとれんねん?」、「マスカットが有名や。広島は何が有名なん?」、「牡蠣が有名やろ。岡山は他に?」「桃も有名やね。広島は牡蠣の他には?」。そう振られて、俺の頭に浮かんだのが、もみじ饅頭だったんです。「もみじ饅頭があるがな」と返すと、「どんな形やねん?」。


俺は紅葉の形を手で表しながら「もみじまんじゅうー!」。劇場中は大爆笑ですよ。


広島ではもみじ饅頭は有名でしたけど、県外の人にはあまり知られていなかった。これが今まで一生懸命に考えて稽古したネタよりウケたんですよ。

「もみじまんじゅうー!」はアドリブから

舞台を降り、次の出番はやすきよさん。出囃子が流れる中、西川きよしさんに「今のネタおもろいな。もみじ饅頭の形も可愛らしいな。俺らの出番が終わったらまた話そうな」。出番を終えた西川さんから「『もみじまんじゅうー!』はおもろいから、ずっとやり続けたほうがええで」とアドバイスをもらいました。

たけしのコマネチにしても、俺の「もみじまんじゅうー!」にしても、ギャグなんてほとんどはアドリブから生まれたものだと思いますよ。


それ以来、レギュラーのラジオ番組でも「もみじまんじゅうー!」を連発。ある日、もみじ饅頭を発売している『にしき堂』さんから電話が掛かってきて、「もみじ饅頭をお送りしますから住所を教えてください」。にしき堂のトラックの運転手さんがラジオをよく聞いてくれていたらしいんです。


後日、20個入りのもみじ饅頭が20箱も届きました。芸人だけでなく、吉本の社員さんや劇場で働くスタッフさんにも配りました。翌日から劇場のスタッフさんに挨拶すると「もみじまんじゅうー!」と返されるようになりましたね。


漫才ブームで俺らが全国区になって「もみじまんじゅうー!」のギャグをテレビで披露するようになると、結構売れたらしいですよ。


広島へ行くと、にしき堂の先代の社長さんに食事に誘われた。「にしき堂のもみじ饅頭と言いましょうか?」、「いやいや、どの会社のもみじ饅頭も流行ってほしいから、今のままでいい」とおっしゃっていましたね。


新幹線に乗れば、車内販売の売り子さんが「B&Bでお馴染みのもみじ饅頭はいかがですか」と売っているから顔を伏せていると、バレてしまったこともありました。


もみじ饅頭がなかったら、ギャグは生まれなかったわけですから、俺らは感謝しています。