島田洋七 (C)週刊実話Web 
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坂田利夫さんとの思い出(後編)~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

宝くじの収益金のイベントで佐賀へ来た吉本芸人の一行。俺が町長と自宅で話していると、玄関がガラガラと開き「あ~りが~とさ~ん!」と入ってきたのが先輩の坂田利夫さんでした。


町長はア然としてましたよ。テレビで見たことはあったでしょうけど、突然、ギャグをしながら本人が入ってくるとは思わないでしょ。坂田さんと気がつくまで30秒くらいかかりました。


【関連】坂田利夫さんとの思い出(前編)~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』 ほか

その後、坂田さんは町長と話していましたけど、内容はものすごく真面目でしたね。「ここは市ですか? 町ですか?」、「もうすぐ合併して市になります。私が最後の町長なんです」。


ちょうど平成の市町村合併の頃だった。20年くらい楽屋などで一緒になりましたけど、そんな真面目な話をしている坂田さんを初めて見ましたね。


町長が帰ると、「洋七、お前はちゃんと家庭持ってんな。嫁さんもきちっとしとるやないかい。楽屋におるときは家庭の匂いなんかこれっぽっちもないな」、「家にいるときは普通にしてますよ、兄さん」。


楽屋だと俺は家の話はしませんね。ただ、年齢が近い芸人なら子どもも同じくらいだったりするので、家族の話はしましたけどね。


それから自宅の中を案内すると、「しっかりとした家を建てて。もみじまんじゅうー! 言うだけでこんな家建つんか?」。「兄さん、ちゃんと漫才もしてましたよ」、「知っとるがな。あ~りが~とさ~ん! 言うても家は建たんぞ」、「兄さんもマンション持ってはるじゃないですか」、「でもな、田舎の家はええな」。


そんな会話をしたのを覚えていますよ。そうしたら嫁さんに「奥さん、洋七は普段どんな生活してますか?」、「普通の生活ですよ」、「風呂入ったり、飯食ったり、トイレ行ったり?」、「当たり前じゃないですか。芸人だろうが野球選手だろうが普通に生活してますよ」とツッコミましたね。

誰にでも「あ~りが~とさ~ん!」

1時間ほどすると、坂田さんの帰る時間になった。他の芸人さんは佐賀から福岡駅まで先に向かい、坂田さんとマネジャーさんだけが来てくれたんです。佐賀駅まで車で送ろうと、家を出ようとすると嫁さんにまたも「あ~りが~とさ~ん!」。嫁も爆笑してましたね。

佐賀駅に着き、「また来てください」と握手を交わすと「田舎はええな。なんかシンミリしてきたな。汽車で別れるのは辛いな」。俺も子どもの頃、夏休みは広島の母ちゃんの家にいて、休みが終わる頃、佐賀へ戻るのが辛かったから、その気持ちがよくわかるんです。


まだコロナ禍前で2人ともマスクも何もしていないから、30~40人に囲まれてしまった。すると、坂田さんはまたも「あ~りが~とさ~ん!」とギャグを披露していましたよ。


改札まで見送り、階段を上っていく坂田さん。姿が見えなくなっても、しばらく見送っていると戻って来て「あ~りが~とさ~ん!」。田舎の駅で人が少ないから、その声も響きます。お土産にと、ふっと思い佐賀の海苔を渡しました。


その後、楽屋などで挨拶することはあっても、2人でゆっくり会話したのはこれが最後になりましたね。


亡くなったと聞いたときは、芸風が明るいだけに余計に辛かったですけど、俺にとってはこのときの明るい坂田さんの顔が今でも強烈に印象に残っていますね。