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『美女ざんまい』プロレスラー、モデル・上福ゆきインタビュー

上福ゆき
上福ゆき (C)週刊実話Web

「セクシーなレスラーと呼ばれたい」――そう公言するのは、東京女子プロレスの上福ゆきだ。

準ミス東洋大学から芸能界入りし、レースクイーン、グラドル、港区のギャラ飲み女子などを経て、人気レスラーとなった。

昨年は自身初の写真集もリリース。31歳の誕生日を目前に控え、現在の心境を聞いた。

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――昨年11月、初めての写真集『脚罪(きゃくざい)』(SW)を出されました。タイトルもユニークですが、内容も斬新ですね。

上福 タイトルに込めた意味は、小さい頃からコンプレックスだった背の高さや脚が、レスラーになったことでいつの間にか私の最大の武器になっていたんです。リングで相手を蹴ったり踏んづけたり。「罪深い脚」ということで、付けさせていただきました。

――現在の身長が173センチで、リングコスチュームを見ても脚線美が強調されている。コンプレックスだったとは意外です。

上福 私は生まれたときから4000グラムもあって、他の子よりも大きくて、背も高く声も低かったんです。小学生の頃は授業中に地震が起きると「上福が転んだ」といじめられて、自分の体格や容姿に劣等感を抱いていました。20歳になるまでハイヒールを履くのも嫌だったんですよ。

――写真集を見ると、縄で男の人を縛って踏んづけていたかと思うと、ボコボコに殴られて血が出ているシーンもある。グラビアアイドルの写真集とはイメージが違いますね。

上福 両極端なんですけど、これも全部、私なんだなって。グラビアのお姉さんの水着写真は艶っぽいけど、私の写真は加工も修正も一切してないので、その部分でも、ありのままの私なんです。リング上では傷痕が絶えないし、いくら鍛えてもプニッとしたお腹やお尻の肉は隠しようがない。内面の弱い部分もお客さんに見せてきたので、それも含めて素の私を見ていただきたかったんです。昨年、30歳になった節目に、「私が生きた証を写真集にしたい」と思ったんですよね。でも、フリーランスで出版社に知り合いがいるわけでもなく、どうしたらいいか分からなくてSNSに投稿したら、ラッキーなことにその投稿を見た出版社さんから「やりましょう」と言っていただけたんです。

――暴力的なシーンばかりと思われてもいけないので、男性読者向けにお勧めのシーンはありますか?

上福 もちろん。そもそも、グラビアをしてみたかったのは、「レスラーなのにセクシーだ」と言われたかったからなんです(笑)。水着になってるから艶っぽいかといえば、そうでもないじゃないですか。むしろ、OLの制服からチラッと見えてる方がドキッとしますよね。そういう卑猥さが好きなので、ある意味変態なシーンがお勧めです。例えば、真っ赤な下着にコートを着て、ビルの屋上で撮られているシーンがあるんですけど、ビジュアル的にも美しいけど、トリッキーで艶っぽいなぁと思います。

上福ゆき
上福ゆき (C)週刊実話Web

「もう逃げよう」と思った日々だったが…

――コンプレックスの塊だった上福さんが、どういう経緯でレスラーになったんでしょう?

上福 人見知りで周りと同じことをするのが苦手だった私を見て、母に勧められた習い事に挑戦したこともありました。書道やピアノは全然ダメで、中学の部活はバドミントン部の顧問が偉そうで嫌になり、テニス部では先輩が『テニスの王子様』のコスプレをしていて「こいつらと一緒は無理」と辞めました。体育の授業もサボりがちで、まあ、地元ではヤンチャしてましたね。そんな私を見かねた父が「日本に置いといたら危ない」と、転勤先の米国オハイオ州に家族で行くことになったんです。ところが、当時はアジア人などほとんどいなくていじめられました。高3の夏に帰国して、大学生になったんです。

――そこでミスコンに出るわけですね?

上福 はい。体格のコンプレックスを強さに変えるのも自分次第だと思い、「何か一つでも足跡を残したい」と応募しました。でも、ミスコンって、投票で決まるんですよね。友だちが誰もいないから票が全く伸びなくて…。

――どうしたんですか?

上福 当時は東京の巣鴨に住んでいて、授業のない昼間はパチンコ店とスロット店をはしごしてまして(笑)。ずっと打っているので得意になり、隣のおじいちゃんやおばあちゃんが困っていると目押しを手伝ったりしていたんです。おかげで私は「巣鴨のスーパースター」に(笑)。その人たちの〝組織票〟で準ミス東洋大学になれました。それがきっかけで芸能事務所に所属し、レースクイーンをやりましたが、ゴマすりや愛嬌を振りまくことができずにすぐにクビ。グラビアの仕事をやってもうまくいかず、港区でギャラ飲みをする毎日でした。そこでは他のグラドルがグチばかり言ってるのが嫌になり、「こんなことをしていたら将来、自分の子どもに自慢できない」と、1日でも早く抜け出さなくちゃ…と思ってました。

――なんとも、波乱万丈。そこにプロレスの話が?

上福 24歳の頃、マネジャーから三択を迫られたんです。「過激でセクシーな番組に出るか、関係先の不動産会社に就職するか、プロレスラーになるか」って。プロレスなんて全然知らないけれど、それしか選択肢がなくて、DDTの社長(高木三四郎氏)の面接を受けました。

――人生で1度も経験がない、肉体いじめの日々が始まったわけですね。

上福 そうなんです! 練習は本当にきつくて、3カ月くらいで「もう逃げよう」と思っていました。だって、今まではキレイに見せる仕事ばかりじゃないですか。デビューしてしまったら逃げられない、逃亡先は鹿児島のおばあちゃん家だな…って。でも結局、2017年8月に後楽園ホールでデビュー戦を迎え、今に至ります。将来的には留学先のオハイオで凱旋試合をしたいですね。

――自分を変えてくれたのは何だったと思いますか?

上福 「他人は思ってるほど私のことなんか気にしてないんだ」ということですね。せっかく肉体を打ち付けてるのに、くよくよしてたら練習している意味がないと思えるようになったら吹っ切れました。そのせいかどうか、気が弱かった頃の私と比べて、言い寄ってくる男性に「雑魚」が減りましたね(笑)。

◆かみふくゆき 1993年2月20日生まれ。神奈川県藤沢市出身。T173、B86・W61・H89センチ。東京女子プロレス所属。長身から繰り出すドロップキックと逆水平チョップが武器。2020年、第5代インターナショナル・プリンセス王座を獲得。
X(旧ツイッター)@zacyuki

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