島田洋七 (C)週刊実話Web
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そえんじを紅白に出場させたい~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

昨年11月、『洋七×そえんじ コラボライブ 2023in高砂』という兵庫県高砂市で開催されたライブに出たんです。そえんじは「トークソングライター」の肩書で活動している40歳すぎの歌手です。


彼は中学生の頃から俺の大ファンで、弟子になりたいと思っていた時期もあったらしいんですけど、当時はどうしたら弟子になれるかわからなかった。大学に進み、中退しようかと悩んでいた彼は、なんばグランド花月でB&Bの漫才を見て大爆笑。悩みが吹き飛んだらしいですよ。


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笑いには「こんな力があるのか」と感動した彼は本格的に俺に弟子入りしようと決意した。でも花月の入り口で待ち構えていてもマネジャーや若手芸人と一緒に歩いていたから、「握手してください」くらいしか言えなかったらしいです。


困り果てて、友だちに相談すると「お前は歌が上手いから歌手になったら洋七さんに会える」という無茶苦茶なアドバイスを真に受け、ギターを習い始めたそうです。みるみるギターが上達した彼は、流しをしたりと地道に活動してきた。


数年前、俺が兵庫県加古川市で講演会を開くと、その前座を務めたのが彼だった。楽屋に挨拶に来ると「弟子になりたかったんです。歌手になれば会えると友だちに言われて。それが今日なんです」。


そう突然言われても、彼とは初対面だから挨拶を交わした程度。それからというもの、俺が毎朝出演しているKBC九州朝日放送『島田洋七の朝から言わせろ!』に彼から何度かメールが届いた。今はradikoを使えば、日本全国どこでもラジオ番組は聞けるでしょ。プロデューサーが彼に連絡をすると、FM大阪などで番組を持っているちゃんとした歌手であることがわかった。

“後は売れるだけ”に改名!?

それならと俺も電話で話すと、彼のおばあちゃんも佐賀に住んでいて、俺と同じでものすごくばあちゃん子であることがわかった。20年以上もずっとファンでいてくれたことも嬉しくて、俺が作詞して『優しい言葉の中にも』という曲まで作りましたよ。ネットで『洋七 コラボ そえんじ』で検索すれば無料で何回でも聴くことができますよ。

昨年11月のライブには、お客さんが800名ほど入りました。チケットのほとんどを彼が手売りして、パンフレットまで作るなど全部やってくれたんです。俺は、そえんじの曲を聴いてほしくて、毎日放送や読売テレビを引退したプロデューサーを招待しました。プロデューサー陣は「今の時代、こんな歌手いませんよ」と驚いていました。あまりに歌が上手く、いい曲で、トークも抜群ですからね。


彼はとにかく人に好かれる。もっと世に知らしめたいと、先日、高砂会館の館長さんや学校の恩師、大阪はミナミの商店街の会長さんらと兵庫県・姫路に集まったんです。プライベートで1人で新幹線に乗ったのなんて何十年ぶりかも。


集まった人たち皆が彼をなんとか年末の紅白歌合戦に出場させたいと、こんな殺伐とした世の中で自然と集まった会だった。そのためには売れるだけなんです。だから、そえんじ改め「後は売れるだけ」に改名したほうが良いと思うんですよね。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。