(画像)Jmcanally/Shutterstock
(画像)Jmcanally/Shutterstock

人生を大きく変えた「大麻逮捕」の一部始終~第20回『放送作家の半世(反省)記』

1989(平成元)年2月にスタートした『平成名物TV三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)は、社会現象とも呼べる一大バンドブームを引き起こしたが、番組は意外に短命で翌90年12月いっぱいで終了した。


バンドVTRを制作する外部ディレクターがコカイン所持で逮捕、さらにはスタジオ台本を担当する私が大麻取締法違反で逮捕されるなど、ネガティブな事件が番組の寿命を縮めたことは否めない。


【関連】16歳の人気アイドルと訳あり「疑似デート」~第19回『放送作家の半世(反省)記』 ほか

さて、これまでにも何度か〝匂わせ〟てきたように、私は90年3月16日、大麻取締法違反の容疑で発行された逮捕状執行による通常逮捕で連行された。こう書くと大層な容疑者だと感じる方もいらっしゃるだろうが、一般的な薬物犯罪の場合、証拠隠滅や逃亡の恐れがあると判断されたときは、比較的容易に逮捕状が発行されるようだ。


特に当時の大麻取締法では現行犯でもない限り使用でほぼ捕まらないので、何よりも自宅に大麻を所持しているかどうかが逮捕の決め手になる。とはいえ、私は警察や裁判所、あるいは法律の専門家ではないので、過去に逮捕、勾留、取り調べ、起訴、裁判などを経験した人間による戯言程度の認識で読み飛ばしていただければ幸いだ。


その日、私は担当していた夕方の帯番組の最終回に立ち合うため、昼12時すぎに自宅を出た。すると、東京都目黒区青葉台の自宅マンション前に、さほど大きくもない乗用車が停車していた。その道は一方通行で、普段は車が停車するような場所ではない。奇妙に感じていると、私の顔写真を手にした3人の背広姿の男たちが近づいてきた。彼らは私の顔と写真を見比べ、私の名前を口にしながら立ちふさがる。そして、自分たちが警視庁麻布警察署の人間であることを告げると、6階の自室に戻るよう私に促してきた。

残してしまった煙草1本分の大麻

実は前日、私に大麻を売った売人が「捕まったらしい」との連絡を受けていたので、ある程度、警察官が訪ねて来ることは覚悟していた。その売人はバーの店員だったが、同じく売人の店長から「僕らもプロなので売買の証拠は残さないし、絶対に口を割らないので安心してください」と言われていたこともあり、不覚にもそれを信じて煙草1本分の大麻を捨てず、部屋に残したままだったことが私の人生を大きく変えることになる。

自室に戻ると、まず部屋の中央に座らされ、動かないよう指示された。3人の警察官は手際よく私の部屋を捜索して、煙草状にした1本の大麻草とハッシッシ(大麻樹脂)を吸引するときに使う金属パイプを発見。しかしながら、このパイプに関しては今の今も所持していた記憶がなく、誰の物かも分からない。


警察官は私の目の前で逮捕状を読み上げ、押収した大麻煙草からほんの一つまみを化学薬品に浸し、もう忘れてしまったが「何色かに変色したら大麻だ」と説明した。そして、一瞬で変色するや、私の両手首に手錠がはめられた。ただ、マンションの1階に降りて、私を車の後部座席の真ん中に座らせると、警察官は手錠を解錠してくれた。


車は自宅から一番近い渋谷署を通り過ぎると、当時の麻布署も通過。さらに桜田門の警視庁も通り過ぎ、自宅から1時間ほどかけて北区の王子署に到着した。後で聞いたところによると、私のところまで流れてきた大麻草の源流、つまり密輸犯が逮捕されたのが王子署管内で、大がかりな〝芋づる〟だったため捜査本部が置かれていたようだ。


しかし残念ながら、今回はここまでで枚数が尽きてしまった。次回は警察のやり口、ギョーカイ内のスパイ育成(スカウト法)について、反省も含めながらお話していきたい。