テレビの構成作家はよほど特殊な場合を除いて、台本を書き上げれば仕事が終わる。生放送でも収録番組でも、構成作家がスタジオやサブコン(副調整室)で現場に立ち合うことは珍しい。当日の出演者への対応は、基本的には演出家であるプロデューサーやディレクターが行うので、言ってみれば邪魔者なのだ。
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特定の芸人の〝お付き〟のような構成作家を〝座付き作家〟と呼ぶが、彼らは番組からギャラをもらっているくせに、自分が付いている芸人の顔色ばかりうかがっている…というタイプが少なくない。構成作家は構成作家らしく、企画会議や台本で力を発揮してほしいものだ。
さて、なぜ私がこんな話から皆さんにご紹介したかといえば、ラジオ番組の構成作家はテレビとは一転、番組を円滑に進行するという対照的な役割が求められるため、タレントに一番近いところで指示を出すことになる。ゆえに、あまたいる構成作家は、大ざっぱに言えばテレビ派とラジオ派に志向が分かれる。
お金を稼ぎたいならテレビに絞って担当番組の本数を増やすべきだが、ラジオのパーソナリティーとごく近い場所で仕事ができる楽しみは、金銭には代え難い魅力がある。たとえ超人気アイドルがパーソナリティーでも、DJブースに入ってしまえば、そこは2人だけの世界。ブース内のマイク音量をオフにすれば、スタッフやマネジャーに会話を聞かれることもない。
アイドルの波瀾万丈なその後
かつては私も十数本ほどアイドルのラジオ番組を担当していたが、電話番号を交換し、プライベートで食事をしたことがあるアイドルは5名ほどいる。自慢ではないが、そのうち1名とはパリ旅行に行ったこともある。そんな中で最も印象に残っているのが、まごうことなき一線級のアイドルだったO.N嬢だ。
あれは昭和天皇が崩御された1989年1月7日、O嬢は翌日から始まる自身のドラマがオンエアされるかどうか、心配になって電話を掛けてきた。当時の私は、各局とも最短で48時間から72時間の特別番組態勢に入ることを聞かされていたので、通常番組はほぼ放送休止になるだろうと告げた。すると、彼女はあっけらかんと「だったらご飯を食べに連れて行け」と言うではないか。
当時の彼女は16歳の人気アイドルで、街中を並んで歩くだけでも照れくさい。しかし、彼女は躊躇する私を促すかのように、一方的に「夕方5時に西武新宿駅のPePe前広場の改札を出て左側」での待ち合わせを決められてしまった。
とはいっても、よく考えたら昭和天皇が崩御された日の夜に、飲食店が開いているものなのか? 迷った私たちは「困ったときの六本木」で西武新宿駅から六本木交差点へとタクシーで移動。日が変わった明け方まで、アイドルとの〝疑似デート〟を堪能した。
ところが、しばらく後にO嬢は、前述したドラマの現場から逃げ出すという大きなトラブルを起こす。さらには私が担当していたラジオ番組のイベント当日、なんと妻子持ちの担当マネジャーと駆け落ちしてしまったのだ。
当然、O嬢は芸能界からの追放を余儀なくされてしまったが、数年後にフルオープンで衝撃復活を果たすと、さらにその数年後、黎明期の〝元タレント艶動画〟に出演と分かりやすく転落。そして私は、彼女が〝入れ〟豊満になったことを艶動画で知ることになる(笑)。
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