芸能

一青窈「婚約者」を捨てMy Little Loverのakkoから小林武史氏を奪うも破局【美女たちの不倫履歴書46】

Roman Samborskyi
(画像)Roman Samborskyi/Shutterstock

2002年にシングル『もらい泣き』でデビューし、翌年には同曲で日本レコード大賞最優秀新人賞、日本有線大賞最優秀新人賞などを受賞し、『NHK紅白歌合戦』にも初出場した一青窈(47)。

台湾人の父と日本人の母の間に生まれ、慶應義塾大学の環境情報学部(SFC)を卒業。北京語、英語、日本語のトライリンガルという才女だ。

【関連】石原真理子19歳で玉置浩二と不倫“ふぞろいな交際相手”は13人【美女たちの不倫履歴書43】 ほか

04年には『ハナミズキ』が大ヒット。同年、映画『珈琲時光』の主演で女優デビューし、日本アカデミー賞新人俳優賞も受賞するなど、多才ぶりを発揮していたが、07年に音楽プロデューサー・小林武史氏との不倫関係を報じられた。

「当時の小林は、自身がプロデュースしてアーティストとしても参加した音楽ユニット・My Little Loverのボーカル・akkoと結婚しており、2児の父親でした。一方の一青にも婚約者がいたとされています」(ベテランの芸能記者)

“同門”のギタリストと結婚

自分の才能を最大限に引き出してくれる〝ブレーン〟が欲しかったのか、一青は婚約者をあっさり捨て、08年の元旦には小林もakkoと離婚。〝略奪愛〟が成就するかと思われたが…。

「12年ごろまでは、小林氏が一青の楽曲をプロデュースするなど、公私ともにがっちりタッグを組んでいた。しかし、14年10月に発売された一青のアルバムに小林氏はノータッチ。その時期に破局が報じられたのです」(音楽業界関係者)

一青は幼いころに父親を亡くし、子供のいる温かい家庭に憧れていたという。

一方の小林氏は、akkoとの子どもたちを大切にしていたため、一青との入籍や子づくりに踏み切れなかったようだ。

「しびれを切らした一青から別れを告げることになったそうです」(同・関係者)

その後、一青は15年2月に交際が報じられていた2歳年下のギタリスト・山口周平と結婚した。

「もともと山口は、一青をデビューさせた音楽プロデューサーの武部聡志氏に才能を見出された人物。いわば〝同門〟の間柄で、一青が小林氏と別れてから急接近。山口が一青の家に転がり込む形で同棲がスタートした」(同・関係者)

一青は、15年11月に第1子の男児、17年7月に第2子の女児を出産し、幸せな家庭を築いている。

あわせて読みたい