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釈放から1週間…神戸山口組・熊本組若頭が電撃離脱!

釈放から1週間…神戸山口組・熊本組若頭が電撃離脱!
釈放から1週間…神戸山口組・熊本組若頭が電撃離脱! (C)週刊実話Web

《この度、思う心ありまして、神戸山口組三代目熊本組を離脱する事を決心致しました。今後は神戸山口組ならび三代目熊本組とは一切関係ない事を誓います》

2月19日、岡山県警に脱退届が出された。この差し出し主は、神戸山口組(井上邦雄組長)・藤原健治舎弟頭補佐率いる三代目熊本組(岡山)のナンバー2、横森啓一若頭だった。

突如、決行された脱退劇。その背景には、依然として続く六代目山口組(司忍組長)との分裂抗争に関わる意外な理由が隠されていた。

決行当日、集合場所で待つ横森若頭の元に、次々と熊本組最高幹部らが姿を現したという。新たな団結を誓い合うようにして、その一人一人と固い握手を交わしたのち、全員が消息を絶ったのである。

「どれほどの人数が集まるかは、フタを開けてみなければ分からなかったようだ。しかし、実際には熊本組の主軸である執行部メンバーを含め、複数の直参が『出る』と決めた横森若頭に賛同した。藤原組長にしてみれば、思いもよらない出来事だったのではないか」(他団体幹部)

横森若頭らが離脱したという話は、瞬く間に業界内外を駆け巡った。

「一昨年の年末に太田守正・元太田興業組長が辞めて以降、神戸山口組からは直参の離脱、引退などが相次いどった。昨年の9月に福原辰広・元邦楽會会長が引退してからも体制を組んで固めとったし、横森若頭は神戸山口組の直参候補の一人と見とった。今回の離脱は青天の霹靂やったで」(ベテラン記者)

警察当局ですら驚きを隠さなかった“脱退”の決行

昨年12月3日には、横森若頭の本拠である岡山県倉敷市児島の三代目藤健興業の組事務所に、三代目弘道会(竹内照明会長=愛知)の野内組組員が押し入り、本部内で発砲する事件が発生。ケガ人はなかったが、六代目山口組が武力行使の姿勢を鮮明にしたことで、再び緊張が高まった。

警戒が強まり、熊本組本部や藤健興業などに事務所使用制限の本命令が出された当日、横森若頭らが誤って警戒区域内の岡山市の飲食店で食事をしたため、暴対法違反容疑(多数集合)で1月21日までに計13人が県警に逮捕されたのだ。

全国で初の事例となる逮捕だったため注目された。勾留を経て横森若頭が罰金50万円の略式命令となり、組員12人は全員が不起訴処分となった。横森若頭も2月11日に釈放されたが、本拠を置く倉敷市も特定抗争指定の警戒区域に指定されたため、活動を制限せざるを得ない状況だった。

釈放から約1週間後、脱退は決行された。これまでに熊本組内の〝不協和音〟が表面化したことはなかったため、多くの組織関係者をはじめ、警察当局ですら驚きを隠さなかった。

「熊本組は神戸山口組の発足後に六代目山口組から移籍しとる。当時、藤原組長は現役の『幹部』やったから、移ったんは衝撃やった。せやけど、当初から同じ岡山県に本拠を置く池田組(池田孝志組長=岡山)が参画しとって、繋がりは濃かったんやろな。県内の勢力図が変わることになり、熊本組の加入は影響があったで」(関西の組織関係者)

藤原組長は神戸山口組舎弟となり、その後は執行部の一員である舎弟頭補佐に就いた。業界歴も長く、その豊富な経験を神戸山口組の組織運営に生かして活躍。横森若頭も神戸側の「若頭会」に出席するなど、存在感を発揮していたのだ。

これ以上、誰も血を流さないために…

「ただ、岡山県内における神戸山口組の台頭は、六代目山口組にとって懸案事項の一つだったんやろ。岡山では2件も神戸側への銃撃事件が起きたからな」(同)

平成28年5月、池田組の髙木昇若頭が弘道会系組員によって射殺され、昨年5月には前谷祐一郎若頭が大同会(森尾卯太男会長=鳥取)の最高幹部に腹部を銃撃され、重傷を負う事件が発生。池田組はその年の7月に神戸山口組を脱退した。

「脱退したかて、六代目山口組との対立関係が解消されるわけやなく、その後も宮崎県では四代目石井一家(生野靖道総長=大分)勢と池田組の対立が続いとるんや」(同)

反面、五代目山健組(中田浩司組長=兵庫神戸)に対して、六代目側は静観の姿勢を貫いている。

「池田組長は絶縁者に当たるが、中田組長は処分者やない。上の判断に従って六代目山口組を出たから、いう見方なんやろな。分裂当初、司六代目も《罪のない若い者、この人達に対しては非を咎めることをせず、寛容な気持ちで》と心情を述べとった。せやから、五代目山健組には対立姿勢を示しとらんのやないか」(同)

神戸山口組を五代目山健組や池田組が脱退した背景には、組織運営に関して方針の違いなどがあったからとされた。

今回の横森若頭ら脱退の裏では、いったい何が起きていたのか。

「横森若頭としては、そもそも六代目山口組を割って出た自分たちに非があり、これ以上、誰も血を流さないためにという思いで、神戸山口組、熊本組からの脱退を決断したのではないか」(前出・他団体幹部)

横森若頭は若かりし頃、報道内容に異を唱えてNHK岡山支局に木刀を持って乗り込んだこともあり、業界内では血の気の多い人物として知られる。しかし、その反面、地元住民らとの交流も多いという。

「昔からそうだったと聞くが、最近では新型コロナの影響が地元の店にも出ていたようだ。児島は観光地でもあるから、藤健興業への銃撃事件もあって心配していたのだろう。地元の飲食店へ食べに行っては様子を聞き、顔なじみの店主に会えば昼食を差し入れたり、気遣っていたと聞く。今回、熊本組内の複数の直参が横森若頭に付いていったのも、そういう人柄を知っているからこそだと思う」(同)

5年半の時を経て「六分裂」の様相

横森若頭と行動を共にしたメンバーの中には、熊本組の最高幹部らも含まれていたという。

「熊本組の若い衆のために、これから新たなレールを敷いていきたいというのが、横森若頭の志なのだろう。六代目山口組への帰参や五代目山健組との合流も噂されたが、当面は独立組織『横森一派』としてやっていくと。2月19日に出された脱退届にも、すでに《横森一派 横森啓一》と記されていたらしい。今は組名乗りをせず時期を待つようで、それが藤原組長へのせめてもの礼儀だと口にしたそうだ。各方面が今後の動向を注視している」(同)

岡山県内には、池田組や五代目山健組最高幹部らが本拠を置き、横森一派とは対立関係にないが、県内の勢力図は事実上、六代目山口組、神戸山口組、五代目山健組、池田組、横森一派に細分化されたことになる。

「当の神戸山口組では、井上組長にも報告が上がったのだろうが、今のところ静観の姿勢だ。横森若頭の決意が固いことを、知っているからなのかもしれない」(業界ジャーナリスト)

神戸山口組の発足によって始まった山口組の分裂問題は、5年半の時を経て、当初は誰も予想しなかった状況へと様変わりした。

平成29年に織田絆誠会長らが四代目山健組(当時)の直参3分の1と共に神戸山口組を脱退して、任俠団体山口組(現・絆會)を結成。昨年には中核組織である五代目山健組が離脱し、分裂の首謀者の一人とされた池田組長率いる池田組も脱退。今回、横森一派が誕生したことによって、山口組は「六分裂」の様相を呈している。

「神戸山口組に勢力異変が生じているが、井上組長の最後まで戦うという決意に揺らぎはないはずだ。再び抗争が激化するのか、六代目山口組による政治的な面での攻勢が強まるのか、2つに1つだろう」(同)

今後も、予断を許さぬ状況が続くといえそうだ。

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