(画像)Pavel1964/Shutterstock
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室伏広治「金メダルよりも重要なものが他にもたくさんある」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第80回

陸上競技の投てき種目において日本人で唯一、しかもアテネの金、ロンドンの銅と二度にわたり五輪メダルを獲得したハンマー投げの室伏広治。飛び抜けた身体能力から、今なお「歴代最強の日本人アスリート」との呼び声も高い。


2004年8月22日、アテネ五輪の陸上競技・男子ハンマー投げ(陸上競技における正しい表記は「ハンマー投」)決勝。5投目を終えた室伏広治は最後の1投を残して、フィールドに仰向けに寝転がった。


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「誰も見ていない空を見ていると、僕は1人になれるし、集中できる」


集中力を極限まで高めて挑んだ6投目は、80メートルラインを大きく超えていったが、結果はそこまでの最長記録に28センチ足りない82メートル91センチ。五輪の投てき種目におけるメダル獲得は日本人初の快挙であったが、目標はあくまでも金。それを獲得できる自信もあった室伏は、地面を叩いて悔しがった。


だが、そこから事態は急展開をみせる。この日、トップの記録を残したアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)に、ドーピング検査の検体をすり替える違反行為が発覚。アヌシュは失格処分となり、競技から1週間後の29日に室伏の繰り上げ優勝が発表されたのだ。


試合途中からアヌシュ周辺は不穏な動きをしており、これを予期して現地に留まっていた室伏は、五輪会場のプレスセンターで記者会見に臨むと、「精いっぱい努力して練習に耐えてきたことが、金メダルという形で残せて本当にうれしく思っている」と話した。


そして、アテネ五輪メダルの裏に刻まれた「真実の母オリンピアよ、あなたの子供たちが競技で勝利を勝ちえたとき、永遠の栄誉を与えよ。それを証明できるのは真実の母オリンピア」という古代ギリシャ語の詩を引用しながら、「金メダルへの期待はうれしいが、金メダルよりも重要なものが他にもたくさんあるということ、この詩の中の〝真実〟という言葉が印象に残った」と続けた。


このときのアテネ五輪ではドーピングや判定にまつわるトラブルが頻出し、室伏はそれらへの懸念を示すとともに、自身が研さんを積み努力を重ねてきたという真実が、不正を上回ったことの喜びを静かに噛み締めていた。


繰り上がりの金メダルを「通常の金よりもいくらか価値の低いもの」と考える人がいるかもしれないが、それは誤った認識である。この当時、さまざまな競技においてドーピングがまん延し、特に陸上競技のハンマー投げ、やり投げ、円盤投げ、砲丸投げといった投てき種目においては、上位選手の多くがこれに関与した疑いを持たれていた。


そんな中、身長187センチ、体重99キロ(アテネ大会前後)とハンマー投げの世界では他の選手より一回り小さな体でありながら、筋肉増強剤などの薬物に頼らなかった室伏が、上位争いを繰り広げたことはとてつもない偉業だった。


もしドーピング使用が一切なければ、室伏のメダルはさらに増えていたかもしれない。その証拠に、ドーピング検査の技術が進歩した16年のリオデジャネイロ五輪あたりから、ハンマー投げで80メートル超の記録はめったに見られなくなった。


しかし、室伏は00年の大阪国際グランプリで初めての80メートル超を達成すると、以後は多くの国際大会で80メートル超を記録している。つまり、室伏の全盛期の競技環境がクリーンな状況であったならば、もっと多くの大会で優勝していた可能性があったと考えられるのだ。


金メダル獲得後の05年、プロ野球の始球式を務めた際には、まったくの手投げで131キロの直球を外角ストライクゾーンに投げ込んでみせた。また、テレビ番組の企画で体力測定したところ、握力計の針が振り切れたとのエピソードもある。

実母とは〝絶縁〟複雑な家庭事情

父の重信もハンマー投げで何度も日本代表となったトップ選手であるが、「子供を世界的選手にするには外国人の血が必要」との考えから、ルーマニア出身の女子やり投げ選手と結婚したといわれている。おそらくはこれが功を奏した結果として、室伏は日本人離れした身体能力を手に入れた。

計算ずくの結婚と出産については、競走馬の種付けのようなイメージを持つ人もいるだろう。両親は室伏が中学生の頃に離婚していて、そのことから女性が使い捨てにされたと感じる人もいるかもしれない(父親側は不倫交際を離婚の理由としているが、母親側はこれを否定。なお母親は離婚成立後すぐに再婚し、再婚相手との間に子供をもうけている)。


15年には「家を出た母親が生活保護を受ける貧困状態にあるにもかかわらず、室伏は援助をせずに見捨てた」とする報道もあったが、この件について室伏は「私が扶養を含め(実母の)面倒をみるのは、父親を裏切ることになると考えています」と回答している。


家庭の事情はそれぞれで、他者がどうこうと決めつけるわけにはいかないが、少なくとも室伏が「母親への愛」といった本能的な感情よりも、世の中の筋道や道理といったことを優先したようには見える。


高校時代、ある大会で陸上部の部員たちが仲間のハンマー投げを応援していたとき、室伏だけ一人背を向けていたことがあったという。それで教師から「おまえも応援しろ」と注意されると「親父から『いいものを見ろ、悪いものを見てはいけない』と言われているので」と答えたという。


身体能力のみならず、その独特の感性もまた、どこか日本人離れしたところがあったようだ。 《文・脇本深八》
室伏広治 PROFILE●1974年10月8日生まれ。静岡県出身。2004年のアテネ五輪で金メダル、12年のロンドン五輪で銅メダルを獲得したハンマー投げのスペシャリスト。日本選手権では前人未踏の20連覇を達成している。20年よりスポーツ庁長官を務める。