本田圭佑(C)週刊実話Web 
本田圭佑(C)週刊実話Web 

本田圭佑「伸びしろは常にMAX」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第79回

2022年ワールドカップ(サッカーW杯)のカタール大会ではABEMA中継で解説を務め、選手ならではの視点と豊かな感情表現で好評を博した本田圭佑。これまでのビッグマウスとは打って変わった姿に、驚いたファンも多いだろう。


2010年ワールドカップの南アフリカ大会、グループリーグ初戦でカメルーンを下した日本代表は、2戦目でオランダに惜敗し、02年の日韓大会以来となる決勝トーナメント進出は、6月24日、デンマーク戦の結果に委ねられた。


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試合開始から17分、日本は相手陣の右サイド、タッチライン近くでフリーキック(FK)のチャンスを得る。ゴールまではおよそ30メートル。角度もあって、この位置から直接ゴールを狙うには難しいように思われたが、当時24歳の本田圭佑は相手ゴールをじっくり見定めながら、自信にあふれた様子でボールをセットする。


そうして力強い助走から左足を思い切り振り抜くと、一直線にゴールへと向かったボールは相手キーパーの目前でいきなり左へ曲がって鋭く落ち、ネットを揺らした。本田が左足甲の内側で蹴り出したボールにはほとんど回転がかかっておらず、野球のフォークボールと同じ原理で空気抵抗により軌道が変化したのだ。


その後、試合開始30分に再びFKのチャンスを得た日本。デンマークは当然、本田を警戒して〝無回転シュート〟を遮るコースに選手が並んで壁をつくったが、今度は本田をダミーにした遠藤保仁が冷静に壁の右側を抜いてゴールを決めた。最初に本田が放ったFKの衝撃が、デンマークに混乱を生じさせたのだ。

「伸びしろですねえ」

試合終盤には、本田のアシストで岡崎慎司もゴールを決めて、日本は3対1で快勝。16強入りの立役者となった本田は試合後、自身のFKについて「決まるときは決まるっていう感じで、特別なゴールとは思っていない。それは、決勝トーナメントに取っておきたいと思っている」と、事もなげに話してみせた。

早くから海外志向だった本田は高校卒業後、名古屋グランパスエイトに入団するも、3年でオランダのVVVフェンローへ移籍。南アW杯当時はロシアのCSKAモスクワに所属していた。サッカーファンにはその存在を知られていたが、一般的にはまだ無名に近く、大物然とした振る舞いとビッグマウスは世間に大きな衝撃をもたらした。


W杯では14年のブラジル大会、18年のロシア大会でも1得点ずつを決めていて、通算3大会で4ゴールは日本代表の歴代最多。同い年の長友佑都からは「W杯に愛された男」と称され、ミズノが研究開発した無回転シュートに適したスパイクが20万足を売り上げるなど、本田はサッカー界のトップスターとなった。


また、15年に本田のものまねをしたピン芸人のじゅんいちダビッドソンが、R-1ぐらんぷりで優勝を飾ると、ネタ中の決めゼリフ「伸びしろですねえ」も話題となった。


実際に本田は、12年6月のW杯アジア最終予選ヨルダン戦後のインタビューにおいて「誰が得点を取ってもいいけど、みんな自分が取りたいと思っている。刺激し合っているし、それが良い方向に向かっている。伸びしろは常にMAX。それが今の代表の強み」と答えたり、14年6月に放送されたNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で


「(日本代表は)世界で一番課題多いと思います。その伸びしろに(可能性を)感じているんです。まだまだ伸びるって」と語ったり、伸びしろという言葉を好んで使っている。

パリ五輪を視野に現役続行宣言

「W杯で優勝する」「成功するのは当たり前」といった強気の言葉で、常にメディアを賑わせてきた本田だが、これらはすべて伸びしろ、つまり将来の成長分を見据えてのものだった。大口を叩くことで責任を自らに課し、それを自身の成長につなげていく。言うだけなら簡単だが、本田はこれを実際にやり遂げてきた。

小学校の卒業文集に「W杯で有名になって、セリエAに入団します」「10番で活躍します」と記し、13年には本当にイタリアの超名門サッカーチーム、ACミランに移籍してエースナンバーの10番を背負った。


入団会見では、それがさも当然のことのように「心の中で、私のリトルホンダに聞きました。『どこのクラブでプレーしたいんだ』と。そうしたら、心の中のリトルホンダが『ACミランだ』と答えた」「皆さん、逆に質問したいんですけど、10番をつけるチャンスがあって違う番号を選びますかって話。僕は、そのチャンスが目の前にあって、喜んで自分から要求しました」とコメントしている。


結局、ACミランではさしたる結果を残すことができなかったが、それでもここまで到達したこと自体が、日本サッカー史に刻まれるべき出来事だった。その後は南米やオーストラリア、東欧などのプロリーグを渡り歩いた本田だが、次第に選手としてより、むしろビジネス面での活躍を伝えられることが増えていった。


だが、東京五輪ではオーバーエイジ枠での出場を宣言。ヒザの故障などもあってこれはかなわなかったが、現在、37歳になった本田は「サッカーを引退したことはない」と話し、「パリ五輪もあるので」と代表復帰に色気を見せている。 《文・脇本深八》
本田圭佑 PROFILE●1986年6月13日生まれ。大阪府出身。星稜高から2005年に名古屋グランパスエイトに入団。08年に海外に渡りオランダ、ロシア、イタリア、ブラジルなどで活躍する。日本代表として三度のW杯に出場し、チームをけん引した。