蝶野正洋 (C)週刊実話Web 
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蝶野正洋『黒の履歴書』〜パチンコ業界の衰退

パチンコ業界の衰退が止まらない。先日も業界で御三家の一角といわれていた大手パチンコチェーンの倒産が報じられ、衰退ムードが鮮明になった。


パチンコホールを運営するには、土地と建物を含めた不動産が必要で、大手がチェーン化して店舗をたくさん出店していた頃は、銀行がいい条件で資金を融資していたんだよ。でも銀行は景気が悪くなってくると土地・建物を押さえて貸し剥がしにかかるから、ホール側は運転資金が回らなくなってショートしてしまう。


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それに郊外の大型店舗は、元々10年くらいの定期借家の物件だったりする。だから、期限を迎えて売り上げもトントンくらいだったホールは、契約更新しないで撤退するところも増えているんだろうね。


とはいえ、業界が衰退している一番の要因は、パチンコファンの減少が大きい。〝若者のパチンコ離れ〟というのもよくいわれているけど、庶民がギャンブルを楽しむ余裕がなくなってきたんだろうね。今のパチンコは、座って1時間も経たないうちに1万円がなくなってしまう。当然、アルバイトをしている学生なんかが、気軽に楽しめるものじゃないんだよ。


だから、ギャンブル性を高めるよりも〝庶民の娯楽〟という原点に立ち返ったほうがいいと思うよ。


パチンコ『CR大工の源さん』が流行っていた頃は、俺もよく巡業の合間にパチンコを打ちに行っていた。猪木さんの台が出た時期ぐらいになると、行く回数も減った。今でも覚えているのは、最後にパチンコをやった店でカードの精算の仕方が分からなくて、3000円くらい残したままにしたんだよ。それが、ずっと引っかかっている(笑)。

プロレスラーからはじまったイベント

10年ほど前になると、ホールイベントの出演で来店することが多くなった。

ホールイベントを手掛ける業者はいくつかあるんだけど、元々は北海道エリアでパチンコ店をチェーン展開しているグループ会社が始めて、それから全国に広がっていった。俺はその会社と来店イベントを始めた初期の頃から関係があって、プロレスラーのブッキングを手伝っていたんだよ。全盛期はいろいろな芸能人がパチンコイベントに出演していたけど、最初はプロレスラーから始まっているんだよね。


プロレス・格闘技とパチンコ業界の関係は深くて、それこそ以前は興行のメインスポンサーにパチンコ機器メーカーやホールを運営している会社が協賛してくれることが多かった。


俺も新日本プロレスのドーム大会で業務担当だったときに、パチンコ関係の企業の経営者に協力してもらえないかと考えて、会いに行ったことがある。その経営者は業界でもトップクラスの人物で、会合の席には別の有名企業の社長が呼び出されていた。「今度ドーム大会があるそうだから、君のところから出して」と言いつけると、その社長は「分かりました」と一言で決着。しかも、それは俺が提示した額の2倍だったんだよ。そのくらいの大金が簡単に動く、景気のいい世界だったんだよ。


それがいまや、パチンコも含め、娯楽産業にとって厳しい景気となっている。盛り返せるだけの魅力とパワーがあることは間違いないんだから、パチンコ業界にも頑張ってほしいね。
蝶野正洋 1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。