アントニオ猪木さん (C)週刊実話Web 
アントニオ猪木さん (C)週刊実話Web 

「氷風呂」と「千切りキャベツ」で糖尿病を“フォール”し続けたアントニオ猪木【著名人の壮絶な闘病19】

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死因は「心不全」だが、18年から完治が難しいとされる厚生労働省指定の難病「全身性アミロイドーシス」と闘っていた。


これは、「アミロイド」と呼ばれる線維状のタンパク質が、さまざまな臓器に沈着し、体の異常を起こす病気の総称。複数の臓器にアミロイドが沈着する「全身性」と、特定の臓器にたまる「限定性」に大きく分類される。


症状としては手足のしびれなどがあるが、ほとんどの人が老化と思い、息苦しさや疲労感などがひどくなって気付くという。


猪木さんは、20年7月に病名を公表。自身のYouTubeチャンネルで闘病の様子を伝えていた。亡くなる約1カ月前に生出演した日本テレビ系『24時間テレビ』では、「本当はもう起きれる状態じゃない」と車椅子で登場しながらも、「その日その瞬間、必死に頑張っています」と気丈に振る舞っていた。

ドクターから「即入院」を告げられた

〝不死身の男〟というイメージの猪木さんだが、80年代初頭にも重度の糖尿病で引退の危機に直面したことがある。

39歳の時、興行で行った中東のドバイで初めて異変を感じた。体のだるさが抜けず、しきりにのどが渇いた。その後、韓国の済州島でひいた風邪が治らず、帰国後に新日本プロレスのコミッションドクターから「即入院」を告げられたという。


「最もひどかったときの血糖値は596。猪木さんの時代は丼で10杯以上のごはん、焼き肉なら2キロを平らげるくらいでなければプロレスラーじゃないといった雰囲気でした。1日の平均摂取カロリーは1万5000キロ、成人男性の6倍ほどを毎日摂取していたわけです」(スポーツ紙記者)


それでも「インスリン注射」などの治療は拒否。入院中は1日1800キロカロリーの食事制限を守り、階段の上り下りや病室にダンベルを持ち込んでトレーニングを続け、血糖値の改善に取り組み、3週間後には血糖値が標準程度まで下がる驚異の回復を見せた。


「その後も、ずっと糖尿病と闘っていたんです。血糖値が500以上になったときは氷風呂に入って筋肉をけいれんさせて血糖を消化し、どんぶり山盛りの千切りキャベツを毎日食べて空腹に耐えていたそうです」(同・記者)


参院議員になると運動量が減り、さすがに「インスリン注射」を始めたが、以降、糖尿病との闘いはずっと続いていたという。


不屈の精神力と並外れた体力で病と闘い続けたアントニオ猪木。「元気ですかー!」は、自分に言い聞かせていたのかもしれない。