(画像)KPG-Payless/Shutterstock
(画像)KPG-Payless/Shutterstock

激ヤセしても「ダイエット中だから」と病名を明かさなかった有賀さつきアナ【著名人の壮絶な闘病18】

【関連】病室でラジオの収録をこなしサイトで自身の病状を発信し続けた梨元勝の執念【著名人の壮絶な闘病16】 ほか

1988年に河野景子や八木亜希子と同期で入社した有賀さんは、〝花の3人娘〟と呼ばれ、「女子アナブーム」の立役者の一人だった。


スポーツニュースを担当しながら、『オレたちひょうきん族』や『とんねるずのみなさんのおかげです』といったバラエティー番組でも活躍。アイドルアナの先駆け的存在だったが、92年に退社してタレントに転身した。


「プライベートでは、フジテレビ時代の上司だった13歳上の和田圭氏と2002年に結婚。女児を授かったが、06年に離婚しています」(芸能ライター)


離婚の際、有賀さんは会見で「和田氏との結婚は間違いだった」と語り、のちにバラエティー番組でこんなエピソードを披露していた。


「話し合って別れようと決めた2日後に妊娠が判明し、刑務所に入る覚悟で結婚した」

同期の八木亜希子にも隠していた

そんな有賀さんの命を奪ったのは「卵巣ガン」だった。

「有賀さんの父親が『週刊女性』の取材に明かしたところによると、亡くなる3年前に手術を受けていたそうです。しかし、知られたくないというご本人の意向で病名は伏せられ、仲がよかった同期の八木にも隠していたそうです」(前出・芸能ライター)


激ヤセしても「ダイエット中だから」と言い張り、抗ガン剤の影響で毛髪が抜けてウイッグを着用した際も「カツラは便利」と明るく振る舞っていたという。


18年1月中旬に体調が悪化して入院。食欲がなく、点滴を受けていたが、同月30日に息を引き取った。


「離婚後、最愛の一人娘は有賀さんが引き取り、大切に育てていたが、あまりに急な旅立ちだったため、娘さんもお父さんも立ち会えなかったそうです」(同・ライター)


有賀さんの死後、娘さんは和田氏が引き取った。すでに成人を迎えている計算だが、将来アナウンサーになってわれわれの前に姿を現すかもしれない。