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病室でラジオの収録をこなしサイトで自身の病状を発信し続けた梨元勝の執念【著名人の壮絶な闘病16】

梨元勝
梨元勝(C)週刊実話 

今年3月28日に死去した世界的な音楽家・坂本龍一さん(享年71)は、亡くなる数日前に家族や医師に「つらい。もう、逝かせてくれ」と頼み込むほどだったという。坂本さん以外にも、凄絶な闘病の末に旅立った著名人は多い。

「恐縮です!」のフレーズで芸能人を震え上がらせた芸能リポーターの梨元勝さん(享年65)が、せきが止まらず、「風邪を引いたかな?」と近所の病院を受診したのは、2010年の春だった。

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レントゲンで右肺に影があると診断され、肺にスコープを入れ細胞を採取する精密検査の結果、肺ガンと分かった。

「ゴシップだけでなく、数多くの著名人の闘病も取材してきた梨元さんは、『自分のこともきっちり伝えたい』と決意し、自らのサイトで病状の経過を報告し始めたんです」(女性誌記者)

このとき、すでに「ステージ4」だったとされ、抗ガン剤の副作用に苦しんだ。そんな梨元さんを献身的にサポートしたのは、妻の玲子さんと一人娘の麻里奈さんだった。

「それまでは衝突することもあったという麻里奈さんが、食欲が落ちた梨元さんのために、家にあった調味料を全部病室に持ち込み、おかゆにかけて味を調整したそうです。そのかいあって、梨元さんは食事をとれるようになったと、のちに玲子さんが明かしています」(同・記者)

タバコは吸わなかったという梨元さんだが、数年前に肺炎を患っており、そのときのダメージもあったのか病状は急速に悪化した。

「病気の人たちを励ましたい」

それでも梨元さんは病室にパソコンと携帯電話を持ち込み、亡くなる直前まで仕事を続けた。

「ラジオの収録まで病室でこなしていましたからね。自分が発信することで、同じように病気と闘っている人たちを励ましたいという思いがあったそうです」(同・記者)

玲子さんには弱音をもらすこともあったというが、最後まで芸能リポーターの仕事を全うし、8月21日午前5時19分に亡くなった。

タレントだった麻里奈さんは父の遺志を継ぎ、一時は芸能リポーターの道に進み、梨元さんが育てた多くの後輩芸能記者たちとスクープを競い合っていた。

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