堀江しのぶ(C)週刊実話 
堀江しのぶ(C)週刊実話 

伝説のグラドル・堀江しのぶの命を23歳で奪った「スキルス性胃ガン」の恐怖【著名人の壮絶な闘病15】

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「意外にも野田さんは『顔だけ見て』堀江さんをスカウトしたそうです。クラリオンガールにはなれなかったものの、堀江さんのご両親の元には、他の大手事務所も複数スカウトに来ていた。そこで、野田さんは〝世界のクロサワ〟の長男が立ち上げたプロダクションであることを力説。見事、第1号の所属タレントとして、堀江さんとの契約にこぎ着けたそうです」(芸能記者)


「顔で決めた」とはいうものの、上から90、62、93センチのダイナマイトボディーは〝武器〟になる。嫌がる堀江さんに強引にビキニを着せた野田さんの戦略がハマり、トップアイドルの仲間入りを果たしたのだ。

「社長…わたし…仕事が…したい」

しかし、人気絶頂の88年3月、シンガポールで山岸伸さんと撮影の仕事をしていた堀江さんが腹痛を訴えた。

「お腹が痛くて食欲がないの」


帰国すると食欲はさらに落ち、4月上旬には腹部がふくらみ始めたという。


病院で精密検査を受けると、「スキルス性胃ガン」と診断され、開腹手術をしたところ、ガン細胞は卵巣にも転移していた。


回復は絶望的で、「もってあと2カ月」と医師から余命を告げられた。


愛知出身の堀江さんを名古屋の病院に転院させた野田さんは、毎月300万円もかかる治療費を、のちに「AVの帝王」と呼ばれる村西とおるさんから下請けの仕事をもらうことで全額支払い続けた。


「稼ぎ頭の堀江さんが稼働できないわけですから、治療費だけ出ていく。野田さんは車の中で寝泊まりして、しのいでいたそうです」(前出・芸能記者)


医師から「今日が限界です」と告げられると、野田さんは〝芸能プロの天敵〟と呼ばれたリポーターの梨元勝さんにだけ事情を打ち明け、メディア側の仕切りを頼んだ。


車を飛ばして名古屋の病院に着くと、まだ堀江さんの意識はあった。


野田さんの顔を見て、かすかに笑みを浮かべた堀江さんを抱き抱えると、「社長…わたし…仕事が…したい」と言葉を絞り出したという。


余命2カ月を宣告されていた堀江さんだったが、88年9月13日まで命を燃やし続け、午前4時28分に帰らぬ人となった。


その後、野田さんのイエローキャブは堀江さんの路線でかとうれいこさんや細川ふみえさんといったグラドルを次々と発掘。日本の芸能史に輝かしい足跡を残した。