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女優/寺島まゆみインタビュー〜映画で母娘初共演を果たした“ポルノ界の聖子ちゃん”〜

寺島まゆみ
寺島まゆみ(C)週刊実話Web

一昨年、日活ロマンポルノが生誕50周年を迎え、新作映画の公開をはじめ、さまざまなプロジェクトが話題となった。そこで改めて注目されたのが、過去にヒロインを務めてきた女優陣だ。今も現役で活躍する方が多く、中でも〝ポルノ界の聖子ちゃん〟と呼ばれた寺島まゆみは本誌読者にとっても格別な想い出があることだろう。長女の行平あい佳、長男の小林卓生はともに俳優の道へ進み、行平とは今年、映画『セフレの品格 初恋』での母娘初共演を果たしている。そんな彼女に、初共演に対する思い、将来への野望(?)を聞いた。

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――松田聖子さんのデビューは80年。同年、「ポルノ界の聖子ちゃん」のキャッチフレーズで登場したのが寺島さんでした。変わらずお若いですね。

寺島 ありがとうございます。還暦は2年前に迎えましたが、元気です。

――当時の忙しさはどんな感じだったんでしょう。

寺島 本当にアイドル並みでした。でも、私の芸歴って、ぎゅっと縮めると意外と短いんですよ。映画は2年間で15本に主演し、バラエティー番組では所ジョージさんや明石家さんまさん、とんねるずさんとも共演、その合間に歌手活動もやっていました。ほとんど寝る時間がなくて、北海道で歌を歌い、せっかくだからとジンギスカンを食べてから九州に行って日帰りしてくる…なんていうのが日常でした。「私、今どこにいるんだろう?」という感じでしたね。

――引退されたのは88年の結婚がきっかけだったんでしょうか?

寺島 まあ、そうですね。ただ、「引退します」とは言ってないんですよ。不器用なので、子どもができたら子育てとの両立は無理だなと思い、フェードアウトした感じです。その分、子育てには全力で立ち向かいました。PTAもやりましたしママ友もたくさんできました。専業主婦を長らくやってきて、20年ほど前に「伊藤秀裕さん(日活の社員監督=当時=。『団地妻 肉欲の陶酔』など)が監督するから出ない?」と誘われたのが『婦人排球 ママズ・アタック』(03年。片桐夕子、小川美那子、風祭ゆき他)という、ママさんバレーの映画でした。活躍された時代は違うけれど、ロマンポルノのヒロインが集結する形になって、とても楽しかったですね。

初共演は楽しかった

――それを機に復活されたということでしょうか?

寺島 復活というか、いつでも映画は出たいという気持ちでいたんです。ただ、娘からも「お母さんはレアキャラだから」と言われるほど、連絡先が不明というか…(笑)。所属事務所はないし、タレント名鑑にも名前は載っていません。SNSもやってないので、コンタクトが難しいらしいですね。そのせいか、弟が継いでいる家業の居酒屋までわざわざ訪ねてくださる方もいらっしゃいます。とてもありがたいことと思っています。

――その娘さん、行平あい佳さんは女優デビューして6年目。主演された『セフレの品格』は初めての日活作品でした。以前から「母娘で日活作品の共演が夢」と話されていたそうですが、どのようないきさつで共演が実現したんですか?

寺島 娘はオーディションを受け出演が決まりました。監督の城定(秀夫)さんの作品は大好きだったので、私も出来上がりを楽しみにしていました。ところが、城定監督は私に出演オファーをしてくれたうえに、40年前に共演した伊藤克信さん(『ピンクカット 太く愛して深く愛して』=森田芳光監督=等)にも声をかけてくださったんです。

映画『セフレの品格』は、湊よりこの同名レディコミ作品が原作。同窓会で再会し一夜を共にした男女(行平演じる抄子と劇団EXILE青柳翔演じる一樹)の心情や関係性が描かれる。寺島と伊藤が屋台で飲んでいるところに行平と青柳が同席して会話が交わされる…というシーンだ。

寺島 原作では、屋台で飲んでいるのは男性が1人きりだったんです。城定監督はわざわざ私のために出演シーンを作ってくださったのですね。そのことにも感激しました。同窓会がきっかけでセフレ関係になったカップルと、腐れ縁を背負った男女――いろんな背景が想像できて、いいシーンだったなと思います。

――母娘初共演の感想をお聞かせください。

寺島 娘は「すごく緊張した」と話しているそうなんですが、私は楽しかったです。伊藤さんとの会話がとても自然だったのと、桜が散る中をふざけながら去っていくシーンがあるのですが、それがとってもいい雰囲気だったんです。「また城定組でやりたい」と心から思いましたね。

――娘さんの演技、特に濡れ場についてはどういうふうに思われたんでしょうか?

寺島 それがね、映画になると娘が出ていることよりも、画面の綺麗さとかに注目しちゃうんです。たまたま見た映画の中に娘がいただけ…そんな感想でごめんなさい。ただ、まだ32歳の彼女が、複雑な過去を背負ったシングルマザー役を自然にできていたのは感心しました。鑑賞後に「いろんなお芝居ができるようになったのね」と話しました。

17歳で『スタ誕』に出場

寺島まゆみ
寺島まゆみ(C)週刊実話Web 

――寺島さんは、元々歌手志望だったんですよね?

寺島 そうなんです。でも、高校生活は入学と同時に父親が東京・小平市に開店した居酒屋『鳥勝』の手伝いで大忙し。母と私が看板娘と言われて大繁盛だったんです。おかげで受験勉強も就活も、ついでに恋愛もまったく縁がありませんでした。それでもと、高3のときに当時大人気だった『スター誕生!』(日本テレビ系)に応募。私にとっては、あれが唯一の就活でした。結果は不合格。その半年後、新宿で映画関係者にスカウトされて日活でデビューすることになるんです。

――デビュー作は『宇能鴻一郎の貝くらべ』(白鳥信一監督)。「あたし…○○しちゃったんです」という、独特の世界観が、アイドル顔の寺島さんにマッチしていました。

寺島 私の映画はソフト路線でしたが、ロマンポルノって1本につき3人くらいの女優さんが出るんですね。私の主演作では助演に妖艶な方が並んでました。実際、舞台あいさつで客席にいた男性から「寺島さんのは色気がなくてダメだ」とはっきり言われちゃったくらい。私、壇上から「すみません」と謝ったんです。

――当時はどんな演技指導を受けていた?

寺島 ラブシーンはプロレスやダンスと一緒でした。監督が身振り手振りで「次はこうして、ああして」とお手本を示してくださり、私はその通りに体を動かすだけ。声はアフレコで入れるのですが、大げさにしなくちゃいけないから、長いことやっていると酸欠状態になっちゃうんです。倒れないように、椅子にしっかりとつかまってましたね。

――寺島さんは美保純さんとほぼ同期ですよね。

寺島 はい。2年目くらいに私が主演した『聖子の太股 ザ・チアガール』と、純ちゃんの『ピンクのカーテン』が同時上映されたのをよく覚えています。一緒に舞台あいさつで全国を回ったこともありました。

――美保さんは元ディスコクイーンでお色気むんむん。タイプは違えど互いに大人気でした。ライバル心はなかったのでしょうか?

寺島 全然。地方では一緒に買い物をしたし、今もLINEで繋がっていますよ。純ちゃんはものすごく義理堅くて、「実家の居酒屋が45周年で」とポロッとこぼしたときには祝い花を贈ってくれたり。そういう、うれしいことをちゃんとしてくれるんです。当時は恋バナをするようなことはなかったけど、お互いに還暦を過ぎたいま、改めて語り合いたいですね。

――歌手活動は今も続けているんですか?

寺島 実は4年ほど前、仲のいい方だけをお誘いしたライブをやったんです。現役の頃は新宿にあった「ルイード」というライブハウスで月イチで歌っていましたから、とても懐かしく楽しいイベントになりました。やっぱり歌はいいですね。今、『寺島まゆみ ゴールデン★ベスト』(テイチクエンタテインメント)というアルバムが出ています。このCDは80年代の雰囲気が満載で、とりわけ宇崎竜童さんに書いていただいた「Frozen」「寝た子を起こす子守唄」、すぎもとまさとさんの「狐守唄」が大好きです。機会があったら、ぜひ聴いてみてくださいね。

――間もなくデビュー45周年なんですから、そのタイミングでライブをされたらどうですか?

寺島 あぁ、そうかぁ。それもいいですね。頑張ってみようかな♪

◆てらしままゆみ
1961年3月31日生まれ。東京都田無市(現・西東京市)出身。未公開カットも加えた『セフレの品格 ドラマ版』がDNN TVにて独占配信中!

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