(画像)Skreidzeleu/Shutterstock
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『イカ天』審査員に“イジられキャラ”爆誕~第13回『放送作家の半世(反省)記』

数々の人気バンドを輩出した『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)で、私は大麻取締法違反で逮捕される直前の1990年3月10日放送分まで、生放送用のスタジオ台本を1人で書いていた。


だが、これまでの連載でも触れてきた通り、基本的には「ひな型」ができていたので、毎週手を入れるのはオープニングの雑談、入れ替わりの審査員紹介コメント、バンド呼び込みコメント程度で、数時間もあれば事足りる作業だった。


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その代わり…と言っては何だが、審査員紹介コメントには自分なりに力を入れていた。


例えば、声楽家の中島啓江さんに〝イカ天のビッグママ〟の愛称を付けたときも、しばらくの間、中島さんの様子をうかがいながら(ビッグもママも大丈夫そうだな)と確信を得てから台本に書き始めたほどだ。


司会の三宅裕司さんが喜劇の方なので、台本のどこかに言葉で遊べる余裕を残しておかないと、いくらご本人が音楽好きでも2時間半の生放送で飽きてしまわれないか(?)と、職業・構成作家の私は考えたわけである(笑)。

実在した六本木のキャバクラ

その意味で大変申し訳ないことをしたのが、同じく審査員を務めていただいたグーフィー森さんに対してだ。

編集者でプランナー、音楽プロデューサーのグーフィーさんは、当時30代前半でシャレの通じる方とお見受けした。


そこで彼を、今で言う〝イジられキャラ〟に設定。毎回、グーフィーさんの紹介コメントは、夜の東京・六本木で働く女の子からの情報といった内容で、ネタにさせてもらっていた。


最初こそ全力で否定したり、嫌そうな顔をされたりしたこともあったが、学生時代を大阪芸大で過ごした血が騒ぎ始めたのか、ほどなくしてグーフィーさんは紹介コメントに乗ってくれるようになった。


実は、そのコメント内によく〝六本木のキャバクラ・ギャルソンクラブ〟と実在する店の名前を仕込んでいたのだが、そこでは実際に佐々木勝俊氏、N氏、そして私の作家陣3人がよくつるんでいた。女の子の名前を出すと喜んでもらえたし、私もモテたかったのだ。


ただし、同店のお姉さん格の女性から「うちはキャバクラじゃない。ミニクラブ!」と注意されたことはあったが、あれだけ名前を出したのに一度も安くしてくれず、女の子にモテることもなかった。

苦労人・相原勇のブレイク秘話

そんな『イカ天』で少し異質だったのが、アシスタントを務めていた相原勇さんの存在である。

相原さんは「ホリプロタレントスカウトキャラバン」に出場したり、秋元康氏プロデュースの企画アイドルとしてデビューしたり、『イカ天』に出演する前に青年誌で衝撃的なヘアヌードを披露したり、紆余曲折を経てようやくブレイクした苦労人だった。


彼女の輝く笑顔には、視聴者だけではなくスタッフ連中も魅了された。


しかし、『イカ天』をきっかけに歌手、女優、司会と仕事の幅を広げ、ついにはミュージカル『ピーター・パン』の主役にも抜擢されたものの、その反動なのかスキャンダルに見舞われ始める。


それについては次回以降で、特集してお話してみたい。先にお断りしておくが、下半身絡みのエピソードではない。


そんな『イカ天』は、私を含むスタッフ2名の不祥事で、2年目以降に人気急落するが、それだけが短命の理由ではない。人気は水物、今のように20年も第一線で活躍するアイドルが出る時代のほうが異常なのだ。