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巨人“次期監督”を巡る抗争…原・桑田連合に長嶋派が一斉蜂起!

東京ドーム
東京ドーム (C)週刊実話Web

巨人・原辰徳監督の「後継争い」が本格化した。今季、チーフ投手コーチ補佐に就任した桑田真澄氏への禅譲が有力と思われたが、そこに長嶋派が一斉蜂起。ミスターの意向で、〝子飼いのOB〟と〝阪神タイガースのレジェンド〟まで阿部慎之助二軍監督の支援に回り、形勢が大逆転!!

宮崎キャンプは、桑田コーチ補佐と阿部二軍監督が呉越同舟で指導し、話題を提供し合う姿が、連日、報道されている。

「2月16日から一軍は沖縄に移動し、それぞれの派閥を拡張しています。実は、2人の覇権争いは、故・藤田元司元監督の人脈を継承する原監督と、松井秀喜氏を旗頭とする長嶋茂雄氏の〝代理戦争〟なのです」(古株の巨人担当記者)

メディアは15年ぶりに巨人のユニホームを着た桑田コーチ補佐の報道で賑わっている。しかし、この記者によれば、巨人OBの評論家が訪れて活気づいているのは、むしろ阿部二軍監督の陣営だという。

「今の巨人は元木大介ヘッドコーチ、宮本和知投手総合コーチ、吉村禎章作戦コーチなど〝原ファミリー〟が牛耳っている。彼らは藤田元監督の下で脚光を浴び、恩恵を浴びた人たち。今季で契約が満了する原監督は、腹心のコーチ陣の今後を考え、〝居抜き〟で桑田コーチ補佐への監督禅譲を考えた。しかし、長嶋派のコーチ予備軍が、それでは困ると。『ゴジラ擁立』の次善の策として、阿部二軍監督の昇格を画策しているようだ」(スポーツ紙デスク)

長嶋派には、正力松太郎氏が築いた〝巨人の伝統を継承し、厳しい練習で自前の若手を育てたのは我々だ〟という自負がある。一方、ON監督時代の過渡期に指揮官を託された藤田監督は「情の采配」で選手を鼓舞し日本一に導いた。

巨人の保守本流を取りまとめる意外な人物

球界の盟主と言われた巨人が、日本シリーズでソフトバンクに2年連続で4連敗するなど、失墜した要因をこの「藤田巨人にある」と考える巨人関係者は多い。長嶋派OBの1人が明かす。

「巨人に入れば、『CM出演などの副収入で稼げる』とミスリードし、選手は本業の野球以上に副業を大切にするようになりました。その代表例が、入団1年目から10社近いCM契約を結び、数億円の副収入を得ていた原辰徳です。入団時のダーティーなイメージが尾を引き、CMで稼げなかった江川卓は株投資、桑田は不動産投資に情熱を注ぎましたが、結局、十数億円の損失を出し、野球にも影響が出ましたね。話を聞いていても、桑田の指導法は師匠の藤田氏に通じる部分があり、危うさを感じます。藤田巨人の功罪を伝えるのも我々の責務なのです」

対して、愚直なまでに厳しい練習を追求する阿部二軍監督。その指導は「野暮ったい」という指摘もあるものの、共感者も多い。巨人の保守本流とも言うべき新生「長嶋・阿部派」の取りまとめ役が、実は掛布雅之氏(阪神レジェンド・テラー)なのだという。

「阿部、掛布、長嶋3氏は同じ千葉県の出身。しかも、阿部の実父と掛布氏は、習志野高校野球部の同級生。その掛布氏が憧れたのが長嶋さん。掛布氏が阿部氏の後見人になるのは、うなずける話」(前出・デスク)

先の宮崎キャンプでも、コロナ禍でキャンプ訪問ができない長嶋氏やニューヨーク居住で移動ができない松井氏に代わり、掛布氏は派閥の強化に努めたという。長嶋派番頭格の中畑清氏が現在、巨人OB会会長の職にあり、容易に動けないという事情もあるようだ。

桑田氏に猛反発する有力OBたち

「阿部巨人が誕生すれば、ヘッドコーチは掛布氏で決まり。外様のハンディは、前監督の高橋由伸氏や中畑氏が支えることで解消できる。監督経験を持つ両者の入閣が難しければ、それぞれ腹心の上原浩治氏や大久保博元氏あたりをコーチとして送り込むのではないか。原政権の長期化で窮した長嶋派の面々が、掛布氏のもとに連絡し合い、猟官運動を始めていると聞く」(同)

とはいえ、やはりライバルの桑田コーチ補佐が巨人投手の先駆者としてメジャーリーグに挑戦し、現役引退後は大学院でスポーツ科学を学んで知見を広めた実績は異彩を放つ。それを考えれば、ポスト原監督は桑田コーチ補佐が断然有利に映るが、キャンプ地から届く情報はまったくの逆だ。

有力OBの広岡達朗氏や球界のご意見番である張本勲氏らの大物OBがこぞって「スポーツ科学を振り回す」桑田氏に猛反発。脳みそまでが筋肉体質の阿部氏の方がまだマシだという。

広岡氏は「理論だけでは人を教えることも勝つこともできない。桑田が教えた東大は六大学で勝てたのか。理論は練習量に裏打ちされてなければ」と、手厳しい。

張本氏もテレビ番組で、「日本の投手がバランスよく投げられるのは、走り込みや投げ込みをしているからだ。アメリカの投手は上体で投げるからバランスが悪い。その点、マー君(田中将大)は綺麗に下を使って投げる。それには厳しい練習が必要」と、阿部流の指導を評価している。

長嶋派が〝反桑田〟で大同団結したことで、後継争いは予想外の方向へ。同時に内紛の火種が飛び始めた。

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