島田洋七 (C)週刊実話Web
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福岡のスナックで気さくに歌ってくれた小林旭さん~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

以前、石原裕次郎さんと『西部警察』で共演させていただいて、3時間もお話ししたエピソードを書いたことがあるでしょ。もう1人、石原さんと並ぶ昭和の大スターと一度だけ会ったことがあるんです。


もう24~25年前になりますかね。まだ九州に引っ越す前のことです。福岡で仕事があったんですよ。仕事が終わり、4人で飯を食い、20人ほどが入る上品なスナックのようなお店で飲んでいた。しばらくすると、店のドアが開き、「4名空いてますか?」とグループが入って来たんです。


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一番後ろの人をよくよく見ると、なんと小林旭さんだったんです。しかも、着ているセーターの前の部分を丸めてね。店内の他のお客さんたちも皆、気が付き「小林旭さんだ!!」と騒然となった。すると、小林さんはセーターの前の丸めた部分にミカンを隠し持っていて、お客さんたちに配り始めたんです。


ミカンを一通り配り終えると、お客さんの1人が握手を求めたんです。すると、たちまち小林さんのところに行列ができた。俺もちゃっかり並びましたよ。


小林さんに握手してもらい、席に戻ろうと5~6歩歩いたところで「どこかで見たことあるね」と小林さんがポツリ一言。俺は「いやいや、見てませんよ」と否定したんですけど、他のお客さんが「島田洋七さんですよ!」。「やっぱりそうだよね。なんで福岡にいるの?」「こっちで仕事があったので、飲んでたんですよ」「僕はね、こっちに友達がいるんだよ」。そんな会話をしたのを覚えていますね。

さながらミニコンサートに

小林さんは、俺も子供のときによく見ていた『渡り鳥』シリーズをはじめ、テレビよりも映画がメインのスターでしょ。だから、テレビのロケで来るわけないもんね。テレビ番組をメインに活動していた俺は、初めて小林さんに会ったんです。「小林さんの映画を10本以上は見てますよ」と伝えると、「ありがとう! そういう皆さんのお陰で生活ができたんだよ」と仰っていましたね。

その後は、各自のグループで飲んでいると、他のお客さんが小林さんに「すみませんが、歌を歌ってもらえませんか?」とリクエストしたんです。そうしたら快く引き受けて、大ヒット曲『自動車ショー歌』を歌ってくれたんです。曲は忘れてしまったけど、さらにもう1曲披露してくれた。さながらミニコンサートのようでした。店内は拍手喝采で大盛り上がりですよ。俺も、堂々としていてカッコいいなと思いましたね。


それにしても漫才師ならともかく、映画界の大スターがこれほど気さくで、普通なことに俺は驚きましたよ。俺の中で勝手に小林さんの『渡り鳥』シリーズのイメージが出来上がっていたんでしょうね。


映画は東京に撮影所がある場合が多いでしょ。今なら、新幹線で博多―東京間は約5時間で行けますけど、俺らが幼い頃は、育った佐賀から東京へ出るのに夜行列車に乗って行く時代。ものすごく遠かったんです。東京に着いたとしても、どこで撮影しているかもわからない。東京以上に芸能界はもっと遠かったから、別世界だったんです。


だから自分の中で、余計に映画俳優さんのイメージがあったんでしょうね。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。