エンタメ

ラッシャー木村「こんばんは」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

〝金網デスマッチの鬼〟
〝金網デスマッチの鬼〟ラッシャー木村 (C)週刊実話Web

〝金網デスマッチの鬼〟として国際プロレスでエースを務めたラッシャー木村。晩年はジャイアント馬場を「アニキ」と呼ぶマイクパフォーマンスで人気を博したが、そのきっかけとなったのは新日本プロレス初参戦時の「こんばんは」発言であった。

1981年の新日本プロレス『ブラディ・ファイト・シリーズ』最終戦となった田園コロシアム大会。セミファイナルで行われたアンドレ・ザ・ジャイアントとスタン・ハンセンのド迫力対決の熱狂も冷めやらぬ中、メインイベントで闘うアントニオ猪木とタイガー戸口がリングに登場した。

〝全日本プロレス第3の男〟として新日に参戦し、シリーズ最終戦でシングル対決に挑んだ戸口だったが、新日ファンからすれば、猪木が引けを取るなど万が一にもあり得ぬことで、会場はメインへの期待よりも外国人頂上対決の余韻に覆われていた。

そんなところにリングへ上がったのが、元国際プロレスのラッシャー木村とアニマル浜口(のちの国際軍団)だった。

新日と国際プロの全面対抗戦が、およそ2週間後の10月8日に蔵前国技館で行われ、そこで猪木と木村が対戦することはすでに発表されており、木村と浜口はいわばテレビ視聴者向けの宣伝のために呼ばれたようなもの。もう一人の軍団員である寺西勇が呼ばれなかったのは、試合中継の合間ということで尺の問題もあってのことだったか。

当日、会場に詰めかけたファンたちは、このとき解散していた国際プロ自体を新日よりも格下と見る向きが多く、木村たちに対しても上から目線で、「それよりも早く試合をやれ」というような雰囲気が支配的だった。

そんなときに飛び出したのが、木村のプロレス史に残る迷言「こんばんは」である。

40年にわたって語り継がれている理由

これについて「こんばんは、ラッシャー木村です」と記憶している人も多そうだが、「ラッシャー木村です」の部分はビートたけしらがネタとしてしゃべるときに付け加えたものだ。

保坂正紀アナウンサーの「木村さん、いよいよ(猪木との対戦が)実現しますが、今のお気持ちは?」との問いかけに対し、実際の木村の言葉は以下の通り。

「こんばんは(笑いが起こる)。あのですねえ、10月8日の試合は、わたくしたちは国際プロレスの名誉にかけても必ず勝ってみせます。またですね、その試合のために、今わたくしたちは秩父で合宿を張って、死にもの狂いでトレーニング、(激しい野次)トレーニングをやっておりますので、必ず勝てます」

このとき木村は特に声を荒らげるわけでもなく、日常会話のようなトーンで話している。

敵のリングに乗り込んで、普通であれば「必ずぶっ潰してやる!」などと気勢を上げるところなのに…なぜか肩すかし。これが「こんばんは」が40年にわたって語り継がれている理由だが、改めて木村の言葉を振り返ってみれば、一応はそうした内容を口にしていることが分かる。

ただし、木村にしてみれば、前述したように「宣伝のために呼ばれたお客さんの身」であり、それならば「最初にあいさつするのが当然」との感覚だったのかもしれない。

また、この対抗戦は木村自身が望んだわけではなく、国際プロ時代の社長で恩人でもある吉原功氏が、先に決めていたものだった。それゆえに木村としては、猪木との対戦にさほど高ぶりを感じていなかったという部分もあっただろう。

マイクで分かる三者三様の個性

とはいえ、最初は「こんばんは」に笑っていた新日ファンだが、のこのこと現れた揚げ句にピント外れのことを言う木村に業を煮やしてか、次第に怒号のような野次を飛ばし始めた。

すると、木村に続いてマイクを向けられた浜口は、やはり蔵前での対戦が決まっていたリングサイドの剛竜馬に向けて、「10月8日は必ず我々が勝ちますよ。おい、来い、おまえよ。待っとけよ」と威勢よく挑発してみせた。

そうして「猪木さん、ああ言っていますが、どうですか?」とアナウンサーからマイクを向けられた猪木は、これを無言で制すると、ただ木村とにらみ合ってみせたのだった。三者三様の振る舞いは、それぞれのレスラーとしてのセンスや個性が如実に表れているようで興味深い。

むろん、この日に観客から最低評価を下されたのは木村であった。しかし、最低が最高に一変するのが、プロレスの面白いところである。

最初から間抜けなやり取りで始まった木村たちでは、とても猪木の相手にならないと思われたが、その後の対戦では反則含みの憎たらしいファイトで猪木を苦しめた。そして、このことがより多くのファンからの反発を買って、国際軍団は新日の歴史においてもトップクラスの悪役にまでなった。

また、さらに後年、全日に籍を置いた木村が、マイクパフォーマンスを持ち芸として人気を得たのは、みなさん、ご存じの通りである。

それもこれも物笑いの種だった「こんばんは」がベースにあってのことで、まさに「災い転じて福となす」を地で行くような木村のプロレス人生であった。

《文・脇本深八》

ラッシャー木村
PROFILE●1941年6月30日生まれ~2010年5月24日没。北海道中川郡中川町出身。 身長187センチ、体重125キロ。得意技/ブルドッキング・ヘッドロック、ラッシング・ラリアット。

あわせて読みたい