(画像)MIA Studio/Shutterstock
(画像)MIA Studio/Shutterstock

空前のバンドブーム『イカ天』立ち上げ前夜~第11回『放送作家の半世(反省)記』

世間がバブル景気に沸いていた1980年代末、日本人にとって本当の〝Xデー〟がやって来ようとしていた。1989年1月7日、昭和天皇が崩御されたのだ。メディアでは前年9月に昭和天皇の吐血が発表されて以来、Xデーに向けた横並びの放送協定が組まれていた。そんな嵐の予感に苛まれた昭和最後の年末、東京・麻布十番商店街の雑居ビルにオフィスを構えるテレビ番組制作会社『フルハウス(現ハウフルス)』の片隅で、後に一大ムーブメントを巻き起こす深夜番組の企画会議が開かれていた。


【関連】『オールナイトフジ』と『夕やけニャンニャン』~第10回『放送作家の半世(反省)記』 ほか

その中心にいたのは、昭和から平成のテレビ界で天才プロデューサーの名をほしいままにした同社社長の菅原正豊氏。さらに同社の社員ディレクター数名と、音楽番組には欠かせない重鎮作家・M氏。タレントとしても活動し、サブカル界の象徴的存在の放送作家・佐々木勝俊氏。そして私。私たちが集められた理由について菅原氏は、「来年2月から4月までの2カ月間、TBSの深夜で現行番組を2時間半だけテコ入れして、アマチュアバンドを集めた番組を作りたい」と説明した。要するに2カ月間限定、代替番組の企画会議だったのだ。


放送枠は、芸能プロダクションのアミューズがTBSから受託しており、現行番組にも出演している同プロダクション所属の三宅裕司と、彼が率いる劇団スーパー・エキセントリック・シアターの劇団員(中でもSET隊)の出演が決定事項。アミューズ側の代表は有名ミュージシャンで、KUWATA BANDで名を売った今野多久郎氏。さらに2名の人気放送作家が加わり、2カ月間限定の代替番組として89(平成元)年2月にスタートしたのが『平成名物TV お熱いのはお好き?(午前0時30分〜午前1時)三宅裕司のいかすバンド天国(午前1時〜午前3時)』だった。

短命だったが一大ブームに

タイトルを見て思い出した方もいるかもしれないが、『イカ天』こと『三宅裕司のいかすバンド天国』は、『平成名物TV』の1コーナー。生放送ゆえ、初回から女性バンドマンがズボンを脱ぐハプニングが起こり、制作サイドの意図しない話題を呼んでしまったが、この時点では誰もまだ、番組がレギュラーに昇格し、裏番組に君臨する『オールナイトフジ』(フジテレビ系)を視聴率で上回ることになろうとは、想像だにしていなかった。

番組の生放送は日比谷シャンテ地下のTBSサテライトスタジオから行われ、スタート当初はシャンテに出向していたTBS局員に「土曜日の深夜まで働かせるな」と嫌味を言われていた。だが、後にその局員が赤坂の女子大生クラブで、「俺が『イカ天』の仕掛人だ」と触れ回っていると聞き付けて、内心「勝った!」とガッツポーズしたのを覚えている。


振り返ってみれば番組は短命で、翌90年の12月いっぱいで終了したが、一大バンドブームを引き起こすというポジティブな話題を提供した。しかし、一方でバンドVTRを制作する外部ディレクターがコカイン所持で逮捕され、さらにスタジオ台本を担当する私が大麻取締法違反で逮捕されるなど、番組外のネガティブな事件が短命の一因になったことは否めない。私の事件については、また詳しく芸能界の薬物疑惑と絡めてお話ししたい。


さて、今回は原稿枚数の限界に達したようなので、次回は後編として、象徴的なタイトルなどについて触れていきたいと思う。