(画像)Yupgi/Shutterstock
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『性産業“裏”偉人伝』最終回/鶯谷・デリヘルの韓国人ママ~ノンフィクションライター・八木澤高明

長年にわたって鶯谷を見つめてきた彼女に、自身の人生から街の変遷まで話を聞いた。


鶯谷の喫茶店で向かい合うと、彼女は「和子」と名乗った。韓国名でないのは、すでに日本国籍を取得しているからだった。


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ちなみに彼女の店とは、なんと70代から80代を中心とした超高齢女性専門店だった。喫茶店は、そんな高齢風俗嬢たちの待機場所にもなっていた。


「みんなさ、もともとは経営者だったんだけど、コロナで店が潰れちゃって。行き場がないから、私が雇ってあげたんだよ」


和子は、少しばかり訛りがあるものの、流暢な日本語で言った。


すると彼女は、スマホに入っている写真を私に見せてきた。それは、アフリカのルワンダにある虐殺記念館を写したものだった。


写真を見せながら、彼女が問いかけてきた。


「南米も行った。もちろんヨーロッパやアメリカも。ルワンダの虐殺記念館は、オープンしてすぐに行ったんだ。アフリカに行ってさ、気が付いたことがあるんだよ。何だか分かる?」


しばし考えたところで、私が口を開く前に、和子が言った。


「あの記念館を見てさ、人間には権力と金が必要だと思ったよ。金がある者には、みんな頭を下げるだろう。貧しくなったから、あんな争いが起きたんじゃないのか」


これまで私は色街と関わりのある人々に数多く取材してきたが、海外の社会問題に対して深い関心を寄せる人物に会ったのは初めてだった。色街の住人としては、見かけないタイプの和子が、なぜ風俗店を経営することになったのか。


「今から50年前、20代で日本に来たんだよ。今じゃ見る影はないけど、ピチピチの美人だったんだ」


和子は、すぐに若かりし頃の写真を私に見せてきた。確かにすらりとして、モデルのようだ。


「韓国の大学を出てね、東北大学に留学で来日したんだよ。ところがね、私が着いた日の夜に、保証人が私を赤坂の韓国人クラブに連れて行ったんだ。そこで韓国人オーナーから1日2万円で働いてくれと言われてさ。金に目がくらんで働きだしたのよ。だってその頃の2万円っていうのは、韓国で一流企業のサラリーマンの月収だよ」

いつの間にやら鶯谷の生き字引

当時、赤坂の韓国人クラブで働いていたのは、在日韓国人の女性がほとんどだった。韓国から来た女性がいなかったこともあり、和子は大人気だったという。

「モテて仕方なかったの。昼間は貿易会社で事務の仕事をして、夜はクラブで働いた。それで、1年で韓国に家を建てて、もう満足して韓国に帰ろうかというときに、日本人の夫に一目惚れされて、結婚したんだ。もう別れちゃったけど、ずるずる今まで日本にいるの」


元夫は商社マンで、世界中を飛び回る多忙な生活を送っていた。


「私も専業主婦で静かにしているタマじゃないの。日本に来てすぐに水商売をして、おいしい思いをしたからさ。夫が日本に建てた家を担保にして、こっそり韓国人クラブを上野で始めたんだよ。私も若かったし、すごくもうかったんだ」


その後、ヤクザに「うまい話がある」と言われ、和子は借金をして裏カジノを始めた。ところがしばらくして、店を任せていた人間が店を売って逃げ、5000万円の借金だけが残ったという。


借金で八方塞がりとなったときに、海外赴任をしていた夫が帰国した。


「隠せるもんじゃないから、全部、正直に話した。夫は離婚したくなかったから、家を売って借金を払おうって言った。それから、海外赴任に着いて来なさいと。でも私は日本にいたかったから、断った。それなら離婚だとなったんだ」


借金を返すために、和子は離婚してすぐに動いた。


「まずは朝鮮銀行に行って500万円を借りて、その金でスナックをやったんだ。でもね、利子を払うのが精一杯で、どうにもならなかった。そんなときにたまたま見たSM雑誌で、SMデリヘルの女の子を募集していたんだよ。それでピンときたね。これは稼げるんじゃないかと。SMなんてやったことはなかったけど、もうけが少ないときでも1カ月に100万は手元に残った。それで借金が減り始めて、3000万円ぐらいになったときに独立したんだよ」


独立して、最初に店を構えたのが、ここ鶯谷だった。


「最初はさ、従業員もいないから、私一人で電話を取って、お客さんを取って、プレイルームでプレイをして、365日、ほとんど寝ないで働いたよ。独立して3年で借金は全部返した。お金を稼ぐにはさ、人が休むときに仕事をしないといけないんだ。お金も使わなかった。食事はキムチとご飯だけ」


30年にわたって体一つで風俗業界を生き抜いてきた和子は、風俗激戦区としても知られている鶯谷の生き字引とも言うべき存在でもある。


「今は無店舗型のデリヘルは簡単に許可が下りるだろ。極端な話、部屋と電話があれば、すぐに商売ができるんだ。誰でもできるようになって、どんどん店が増えているから、女もすぐに店を移るし、店を通さないで客と直引きしたりする。昔と比べて、義理も人情もあったもんじゃないよ」


そう言って昨今の風俗業界を嘆きつつも、和子はこれからもこの商売を続けていく覚悟だ。


「男は女と、やりたくなるんだからね。絶対になくなる仕事じゃないよ」
八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。