
アル・カポネといえば、言わずと知れたギャングスター。1920年代、禁酒法時代のシカゴで、酒の密造や殺戮を繰り返した悪名高きマフィアのドンです。
その最晩年を描いた映画ということで、老ギャングの悲哀みたいなものが描かれているのかと予想して見ましたら、若い頃にかかった梅毒による認知症を患ってから48歳でこの世を去るまでの、知られざる隠遁生活にスポットを当てています。
繰り返された抗争、裏切り者への拷問など、血塗られた過去を持つカポネの場合、認知症によって苛まれる悪夢や妄想も過激にして残虐。その人の意識がしっかりしている時に刷り込まれた事柄が、認知症になってから、いかに影響を及ぼすかが窺い知れます。カポネが主人公ではあるものの、むしろもっと普遍的な、誰にとっても人ごとではない「認知症の脳内」を垣間見ることが主題であるような、実に不思議な映画でした。
自分の亡くなった両親も、それぞれ晩年は認知症の症状が出てきていました。特に母親は、時々幻影も見ていた様子でしたので、いずれ我が身にもそういった症状が現れるんだろうという思いはあります。
悪のヒーローとしてのカポネ像とは一線を画す作品
この映画の巧みなところは、カポネが見ている幻影をシームレスに挟み込んでいる点。見る者の意識まで、次第にかき乱されていくような…。今、正常であるはずの自分たちが見ている世界だって、本当に現実だと言えるのか、それとも、つかの間の幻なのか。果たして現実とは、いったい何なんだろう…と、昔から問われている哲学的な領域へと落とし込まれているような気がします。
暴虐の限りを尽くし、栄華を極めたアル・カポネですら避けられない、生々しい老醜。これまで映画化された悪のヒーローとしてのカポネ像とは一線を画す作品ですね。翻って自分ならばどんな幻影を見るのだろうと、俄然、興味が湧いてきました。
ところで、20年ほど前、キューバにあるカポネの別荘を訪れたことがあります。本作の舞台となったフロリダの豪邸とは違い、小洒落た海辺の館でした。現在はレストランになっていて、ちょっとした観光名所です。キューバはアメリカとの断交以来、街も車も50年代のまま。当時にタイムスリップしたような気分で、カクテルかなんかを飲んだ覚えがあります。
キューバは犯罪の少ない国として有名で、夜でも平気で出掛けられました。物資には恵まれない国ですが、カポネもここでひと時、穏やかにすごしたのかなと想像を巡らせました。
やくみつる
漫画家。新聞・雑誌に数多くの連載を持つ他、TV等のコメンテーターとしてもマルチに活躍。
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