蝶野正洋 (C)週刊実話Web
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蝶野正洋『黒の履歴書』~猪木さんの一周忌法要からあらためて考えたこと

アントニオ猪木さんの一周忌法要が、横浜市鶴見区の總持寺で営まれ、新日本プロレスのOBや関係者を含めて120人が参列した。現役レスラーたちも団体の垣根を越えて、たくさん足を運んでくれて、いい交流の場にもなったと思う。


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ただ、プロレスラーは現役選手も引退したOBも、体のどこかは痛めているものだからね。フラフラして歩くのも大変そうだな、という人も多かった。


中でも、コンディションが悪そうだったのが天山広吉。いまや新日本プロレスに在籍しているレスラーのなかでは最古参、キャリア30年を超えて現役で活躍しているんだけど、腰のダメージが大きくて、痛み止めを飲まないと眠れないときもあると言っていた。


たぶん手術が必要だと思うけど、この年齢で長期離脱となると、引退という選択肢もチラついてくると思う。手術後の回復期間やリハビリも、年を取るほど時間がかかってしまうからね。


ただ、天山はストロングポイントがあって、契約更改に強いんだよ(笑)。俺以上に粘り強い交渉をするらしく、ある年には奥さんと一緒に会社に乗り込んでテーブルに着いたとか、伝説がたくさんある。その経験とテクニックを活かし、いい形で現役を続けて、悔いのないレスラー人生を歩んでほしいね。

これからの10年は“不真面目”になりそう

そんな天山をはじめとした後輩レスラーたちにも何かが伝わるといいなという想いも込めて、先日、俺は『「肩書がなくなった自分」をどう生きるか』(春陽堂書店)という本を出した。

俺がプロレス業界からフェードアウトしたのが、50歳を過ぎた頃。普通の勤め人よりも10年ほど早く「肩書」を失った。そこからの俺の生き方や考え方をまとめて、いま現役から退くタイミングを迎えている、50~60代の迷いの多い世代に向けたメッセージを綴らせてもらった。


ただ、本を書いてみて気づいたけど、そもそも俺は肩書にそれほどこだわりがないタイプだったかもしれない。


プロレスラーのときは、ベルトを取るとか、トップに立つといった、分かりやすい肩書を求めていた。


ただ、実際に持ってみると、急に面倒くさくなるんだよ。肩書がもたらす立場や、権力にしがみつくという意識が、薄いほうなんだと思う。


自己分析すると、俺は性格的に裏表があるし、波がある。正しく生きたい自分と、面倒くさくなって投げ出したり、すべてひっくり返したくなる自分。それが、何年かごとに順番に来る。


俺の50代は、どちらかといったら、その真面目な方をやっている感覚があった。社会に対する立場も変わったし、脊柱管狭窄症の手術をするなど、健康面の不安もずっと抱えていたから、いろいろ慎重だったかもしれない。


それが60歳になって、身体的にも、気持ち的にも、ようやく出口が見え始めた。だから流れで言ったら、これからの10年は不真面目になりそうだよね(笑)。


本のタイトルとは矛盾してしまうけど、実はいまの俺は肩書をたくさん持っている。ぜんぶボランティア系で、カネにならない肩書なんだけど、その責任は全うしていきたい。それに加えて、やりたいことを、俺らしくやっていけたらと思ってるよ。
蝶野正洋 1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。